……飛べない。
「…私たちは…無力だ!!」
……だって、片翼だから。
「俺達…どうすりゃよかったんだ?」
……ねえ、もう一つの翼はどこにいったの?
「…もう、謝ることさえ出来ませんわ」
ねえ……あの人は……どこに行ったの?
「…リコたん、泣いてばかりいると…カズヤが安心出来ないのだ…」
笑わせるのが好きだって…、はにかんだ笑顔が好きだって…。それなのに…。
「…どうして…こんなに悲しませるんですか…!!」
これは…大切な人を失った少女の物語。
強大な力に抗い、命を散らした少年を想う、片翼の天使。
これは…新しき神と古き神たる竜の戦いの物語。
果てしない時を神と戦い続け、別たれし己の半身を探す、力を失った竜。
片翼の天使と古き神たる竜が出会い、全てが壊れ始める。
無力に嘆く同胞の慟哭は赤河となりて、全てを赤く染め上げる。
狂い、壊れゆく世界で、片翼の天使は何を想い、神たる竜は何を知る?
「…そう。だけど、あなたは生きなさい、彼のため、誰かのために」
〜Lost of The Golden Age〜
第一話 価値無きもの
NEUE辺境を航行するルクシオールの艦内は、とても暗い。
物理的に暗いわけではない。クルー一人一人が重く、沈んだ空気を纏っており、それが艦内を暗くさせていた。
艦長としてそういったことに気を配るべきタクトでさえ、普段の飄々とした雰囲気は無く、まるで近しい者の葬式に行ってきたかのようだった。
葬式という例えは、あながち間違っていないだろう。
先日、この世を去った者がいる。
そのショックから誰もが抜け出せていない。
職業上、人の死は否応無く何度も直面しなければならない。
だが、誰もがそれへの耐性を身に着けるにはまだ早く、それほどまでに親しい人間の死に付き合ってもいなかった。
「…せめて、任務に没頭することで気分を紛らわせればいいんだろうけどね」
こんな状態で行ったところで、逆に危険度が跳ね上がるだけだろうが…。
辺境へ向かい、消息を絶つ船団が後を絶たない。その原因を調査し、可能であれば取り除くように。
上から下された命令は大雑把にいえばこのようなものだ。
そして、調査途中の不幸な出来事により少年はこの世を去った。
今となっては…何もしてやれないな…。
そんなぼやきを胸のうちにしまいこみ、ふっと息を吐いた。
平時であれば、軽い休憩を取るクルーで賑わうティーラウンジも今は閑古鳥が鳴く始末だ。
くだらない雑談、自分の持ち場のこと…、そういった会話が聞こえていたラウンジとはまるで別の場所のように静まりかえっている。
数少ない客である三人も、誰も一言も話そうとせず黙ってコーヒーなり紅茶を飲むだけ。
ウェイトレスであるメルバも営業スマイルを忘れ、失意のどん底にあることを悟らせてくれる。
そんな中、一人客が入ってきたが、メルバは挨拶をしようとしない。
そして、誰もそのことを咎めようとしない。
新たに入ってきた客は、先客三人のもとへと向かう。そして、唐突に口を開いて言った。
「…駄目だった」
「そうか…」
簡単な報告に、ただ一言だけでも反応を示したのはアニスだった。
残る二人、カルーアとナノナノは口を開く気配さえ見えない。
五人いるルーンエンジェル隊メンバーのうち、四人までがここに揃っているのだが、以前のような賑やかさはない。
ただ、今しがた姿を現したリリィの報告を事務的に聞いているだけ、といった感じだ。
「我々が思っている以上に、桜葉少尉の心の傷は深い…。今はそっとしておくしかないだろう…」
打つ手無しと言った様子でリリィが言い、アニスが誰に訊くわけでもなくポツリと言う。
「…あの時…俺たち、どうすりゃよかったんだ?」
その問いに、誰も答えることは出来ない。
こうすることは出来たかもしれない、といってももはや過ぎ去ってしまったこと。
過去に戻ってやり直せるのなら、今この場に居る誰もがあの時をやり直したいと思うだろう。
「…なあ、誰か答えてくれよ…? どうしたら…アイツは死なずに済んだんだ…?」
「……んっ」
どうやらいつの間にか眠っていたらしい。
そして、寝ている間にも涙が零れていたようだ。勝手に借りることになってしまった枕は涙で濡れてしまっている。
でも、誰もそのことを怒りはしない。例え、部屋の主の少年が生きていたとしても、笑って許していただろう。
それに…もう流すほどの涙なんて残っていないと思っていたのに…。
「……カズヤさん」
主を無くした部屋は、何一つ変わらない。
そこに住む者がいなくなったというのに、帰ってくるのを待っているように。
「どうして…!!」
最後に見たのは、通信ウィンドウ越しの彼の顔。
ちょっとだけ辛そうで、でも大丈夫と無理して笑っていて…。
「………………」
最後に何かを言っていたけれど、聞こえなくって…。
そして、その直後に…彼はこの世界からいなくなった。
遺体なんて、残らなかった。
機体ごと…木端微塵になってしまったから。
初めは悪い夢だと思ってたけど、それが現実だと認識した瞬間に…世界から色が消えた。
止まることを知らないように、涙がずっと零れ落ちていた。
「…?」
不意に、枕元に何かが落ちているのに気がついた。手を伸ばしてそれを取ってみる。
それは銀製のブレスレットで、小指の爪ほどの大きさのブラックオニキスの飾りが付いている。
だが、ついさっきまでこのような物は無かった気がする。
いくら悲嘆していて、注意力が散漫になっていたとしても、明かりを反射して輝くこれを見逃すわけがない。
「いったい、いつの間に…?」
ブレスレットからは不思議と力を感じる。
一体、誰の持ち物なのだろうか?
記憶をひっくり返してみても、彼がこんなものを持っていたところは一度として見ていない。
「…だとしたら…誰が?」
思考の海へと沈む時間は無かった。この直後に、
『総員、第一戦闘配備!! ルーンエンジェル隊は出撃準備を!!』
時間は僅かに遡り、ブリッジにて。
「マイヤーズ司令、前方の宙域で戦闘が行われているようです」
「戦闘…? どこの誰がドンパチやってるのか調べてくれ」
「少しお待ちください」
少し間が空き、数十秒後、ココが驚愕の声をあげた。
「一方は所属不明の大型戦闘機です…が、それと戦っているのは…巨大生物です!!」
「な…!? 巨大生物だと!?」
「は、はい!」
当たり前のことではあるが、宇宙には酸素は無い。ましてゼロ気圧のため生物が生身で放り出されたら、血液が沸騰してしまう。
タクト達の常識にとっては、宇宙とは生物が活動することはほぼ不可能に等しい場所だということ。
それはあっけなく壊されてしまった。
…いや、タクト達が驚いている理由はそれだけではなかった。
「船外カメラの映像をスクリーンに出せ!! まさか、そいつは…!!」
メインスクリーンに映しだされたその生物を見た瞬間、絶句してしまった。
誰がこのような生物を見たことが、考えたことがあるだろうか?
例えるなら、それは合成獣とでも言えそうなもの。
幾本もの触腕を持ち、蛸のような頭、鋭い錐のように細い突起物を背に備えた羽の無い蝿の身体をもつもの。
誰もが見た瞬間にこう思うだろう。それ以上に簡潔かつ正確にそれを言い表す言葉など無いはず。
――バケモノ…。
そして…コイツは…カズヤの命を奪った仇でもあった。
「司令、おそらく巨大生物と交戦中の大型戦闘機は…」
「…たぶん、紋章機だろうね。真っ黒に塗装してるから見えにくいな…」
見た瞬間にそれは分かっていた。
あれほどの機動力を持つ戦闘機なんてそれ以外に思いつかない。
しかし、何故あの巨大生物と戦っているのだろうか?
「司令、所属不明機から通信が入っていますが…繋ぎますか?」
「あ、ああ。繋いでくれ」
「あんた等、こんなトコで何やってんのよ!! 見ればわかるでしょうけど、邪魔だからどこかに行ってよ!!」
通信を繋いだ瞬間に飛び込んできたのは怒鳴り声。
黒い所属不明機のパイロットは、短めの黄金色の髪と同色の瞳が特徴的な女性だった。
「邪魔だからって…いきなり酷いこと言うね」
「いや、本当にそう思ってるから。正直言って、自分の身守るので手一杯だから邪魔なのよ。それとも手助けしてくれるっていうの?」
「ココ。確か、消息を絶った船団が向かっていたのは、この近くだよね?」
相手の問いに答える前に、確認しておきたいことを確認しておく。
「ええ。そうですけど?」
「そうか。手助けしてもいいけど、キミは最近この辺りで消息を絶った船団のことを知らないか?」
「あー、それは多分コイツの仕業よ。コイツは何でも食うからね。って、知ってることは後で全部話してあげるから手伝いなさいよ!」
「わかったよ。第一戦闘配備だ。ルーンエンジェル隊を出撃させろ」
「了解しました」
指示を出しながら、タクトは僅かに不安を覚えていた。
六人揃っていた時ですら苦戦し、仲間を殺されて、それで満足したかのように去ってゆく背をただじっと見ていくしかなかった。
そして、いまだにメンバーの心の傷は癒えていない。
手助けをするつもりが、逆に足手纏いにならなければいいが…。
「あ、あいつは!?」
それを見た瞬間に、アニスはそう叫んだ。
だが、それは皆同じ。彼女が言わなければ誰かが言っていただろう。
けれども、唯一アプリコットのみ何も感じていなかった。
彼女の時間は、あの時止まってしまった。
ただ、このバケモノを倒せばあの人が居た時間が戻ってくるのかな…、と思っているだけだった。
「こ、怖いのだ…」
「落ち着け、プディング少尉。相手の気迫に呑まれては、本来の実力を発揮することなど出来ないぞ!」
恐怖に身を竦ませるナノナノを叱咤するようにリリィは言うが、彼女だって怖いことに変わりは無い。
リーダーだった少年を殺した、バケモノを見て竦みあがらない者などこの場におるまい。
あの時の恐怖が…鮮明に甦る。
触腕に捕らわれたのは、ブレイブハートだけだった。だから、分離すればクロスキャリバーは逃れられた。
だけど…その直後に、不快な音が聞こえそうな程に白い機体は歪み…爆発、離散した。
「あー、もう!! びびってんなら引っ込んでなさいよ!! 足手纏いになられたらこっちが迷惑するんだけど!!」
唐突に通信に割り込む、金髪金眼の女性。彼女が漆黒の塗装をした機体のパイロットか、と五人はその場で理解。
「言いたい放題言ってくれるわね。足手纏いにはならないわよ。それに、一人だと危ないんじゃない?」
頬を伝う冷や汗をさりげなく拭いながら、テキーラが強気に言う。
「まあ、ね。とにかく、倒すのは無理でも追い払うわよ」
「OKだ。ところで、あなたの名は?」
「…クレア。クレア・オルトロス」
どこかそっけなく言い放つ。
その間にも、バケモノは獲物を誰にしようかと悩んでいるらしい。
だが、それも長くはなかった。
バケモノが新たな獲物に定めたのは、オレンジ色の紋章機。
その動きに迷いも淀みなく一直線に、触腕がクロスキャリバーに向かう。
一瞬だけだったが、アニス達の反応が遅れた。
だけど、その一瞬は決して遅くはなく、致命的なものだった。
そして、アプリコットは数秒ほど反応出来なかった。我に返ってみれば、もう触腕は距離1000を切っている。
回避運動を取っても、間に合わない。何をしても待ち受けるのは、死のみ。
けれど、それでも構わないとアプリコットは思っていた。
――どうせ、こんな世界に生きていても仕方ないもの…。
後数秒もせずに、それはクロスキャリバーを捕らえ、ブレイブハートのように完膚なきまでに破壊するか、他の犠牲者のように喰われるのだろう。
だから、その瞬間が一秒でもはやく来て欲しいと思った。
そうしたら、楽になれるって思ったから。
こんな苦痛だらけで、楽しかった時間が失われてしまった世界に。
大切な人が死んだときに何も出来なかった自分に。
価値なんて無いと、思っていたから。