これを物語と呼ぶのなら、それは始まりの一ページだった。

 

 しかし、それは始まりと同時に幕間でもあった。

 

 私達が死した後に、この物語を読み解く者へ一つだけ問いかけよう。

 

 あなたにとって、この物語の始まりは何時だと?

 

 

                      ――とある者達の手記の序文より抜粋。

 

 

 

 

 第二話 傭兵と猫

 

 ごめんね、先に逝ってしまって…。

 

 この声が届くのなら…ただ一つだけ、言わせて欲しい。

 

 後を追わないで…、一生懸命、生きて欲しい!!

 

 勝手な願いだなんて、百も承知だけど…それが僕の最後の願いだから…、だから…!!

 

「…………」

 あと数秒…、そしたら、こんな辛いだけの生から解放される。

 それを思って、安堵の息さえ漏らそうとした。

 目を閉じて、それが来るのを待った。

 だが、そんな破滅願望を許そうとする者は、誰一人として居なかった。

 

 

「全砲門を開け!! 何が何でもクロスキャリバーを守るんだ!!」

「分かっています!!」

 ルクシオールのブリッジでは喉が張り裂けんばかりの勢いで、タクトとココが叫んでいた。

 間に合わない、と理性は告げている。

 けれども…このまま歯噛みしていたくはなかった。

 

 

「これ以上、貴様に仲間を殺されてたまるか!!」

「また…間違えてたまるか!!」

 思うことは、ただそれだけ。

 あの時と同じ過ちを犯したくないと、それだけを願い、叶えたいと思っていた。

 だが、現実というものはどこまでも過酷で、理不尽なものだった。

 かばおうにも、身を挺して庇えば自分が犠牲になる。

 触腕を破壊しようとしても、火力が足りない。

 

 

 誰もが諦めと絶望を拒みながらも、それを受け入れようかとした時だった。

 

 

 距離200といったところで、触腕が見えない何かに触れて、バキィンと言う音が聞こえた。

 誰もが、アプリコットも、他のルーンエンジェル隊メンバーも、タクト達も、何が起きたのか分からなかった。

 分かったのは、その行動を取った本人と、バケモノのみ…。

「なぁにボサッとしてんのよ!! 足手纏いにならないでって言ったじゃん!!」

 一瞬遅れて聞こえた怒鳴り声で、全員我に返った。

 何故、クロスキャリバーが助かったのか、答えは簡単なものだった。

「あの黒い紋章機…、エネルギーシールドを装備しているのか…」

 つまり、黒い所属不明機がとっさにエネルギーシールドを展開してクロスキャリバーと触腕の間に割り込んだ、ということだ。

 ステルスなのかどうかは分からないが、レーダーに捉えにくく、肉眼でも見えにくいためか、その存在を忘れていた。

しかし…あの機体はクロスキャリバーとかなり離れた位置にいたような気がするのだが…。

「まるでニンジャみたいな機体だな…」

 呆れと感嘆を交えて、タクトはそう言った。

 

 

 エネルギーシールドに触れて、軽く焦げた触腕を忌まわしげに振り回し、バケモノは黒い不明機を睨みつける。

 そして、そのパイロット、クレア・オルトロスも目を逸らさずに真っ直ぐに睨みつける。

通信を切らずに、黒く塗装された自機からクレアはバケモノに呼びかける。

 聞こえるわけなどないのに、何故このようなことをするのだろうか?

「さぁて…まだやる気なの、アンタは?」

「…………」

「勝てるかどうかは分からないけどね…負けることはないわよ」

「…………」

「おとなしく引き下がるならいいけど…、続けるっていうのならアンタが不利なだけよ」

 淡々とした物言いではない。地の底から響くような、それか、天より見下ろすかの如く威圧と威厳を持った声音。

 聞くもの全てに畏怖と恐怖を感じさせる…。

「…………」

 クレアの言った言葉が聞こえて、なおかつ理解したのだろうか。

 唐突にバケモノはつまらなそうに数本の触腕を振るい、背を向けた。

 実はルクシオールと遭遇する前、かなり長い時間に渡って黒い不明機と戦いを繰り広げていたため、負傷や疲労が蓄積していたのだ。

 よく見れば、あちらこちらに焼けた跡がある。一つ一つ見ればそこまで深い傷はないが、それが多くなれば深刻なものと化す。

 せめてもの憂さ晴らしなり餌なりにと、クロスキャリバーを襲ったらやはり黒い不明機に阻まれてしまった。

 不利か有利か、微妙なところであったのだが、どうにも不利だと判断したらしい。

 巨体に合わぬ恐ろしい速度で、泳ぐように遠くへと行ってしまった。

 その背に向かってアニスが、

「次に会った時は、絶対テメエぶっ殺すからな!!」

 と多少なりとも物騒なことを叫んでいた。

「そんなことを言っても、向こうには届かないだろうけどね…」

 ふぅ、と一息吐いてタクトは改めてクレアに話しかける。

「助かったよ…。それで、とりあえず聞きたいことが二、三あるんだけど構わないかい?」

「別にいいわよ。ただし、こっちの質問にも答えてもらうわよ」

「答えられる範囲内でなら答えるよ。で、まずはキミはどこの誰だい? 何であの怪物と戦ってた?」

「名前はクレア・オルトロス。フリーマーセナリー(傭兵)だからどこにも所属してないわよ。で、アレと戦ってたのは、まあ、私怨かな」

「私怨? 仕事とかじゃないんだな?」

「そ。アイツのせいで、相棒が生死不明になっちゃってね…。一人で追っかけてたのよ。で、あんたらはどこの誰?」

「オレ達はEDEN軍所属の独立部隊だ。オレが一応、責任者ってことになってる」

 ふぅん…と言いながら、クレアはタクトを珍しいものを見るような目で見ている。

 別にどうということではないのだが、その金色の瞳を直視したくない。

「ここにいる理由は任務のためだ。ここ最近、この辺りで消息を絶つ船団が多くてね」

「あー…それはさっきも言ったけど、あのバケモノにやられたのよ、それは。実際、見たことあるしね」

「それは本当のことかい?」

「今、この場であんたらに嘘付く理由はないわよ」

 やや呆れたように、クレアは言う。

 だが、タクトはそれを気にせず腕組みをして考え込み始めた。しばらくして、呟くように言った。

「フリーマーセナリー、だったよね? 幾等でなら雇われる?」

 

 

 

 

「司令、いいんですか? 勝手に傭兵を雇うなんて…」

 やや不安げにココがタクトに言うが、タクトはいつも変わらずに、

「まあ、報酬とかは必要経費ってことで上から搾り取るさ。それに、黙っていればバレないしね」

「ですが…」

「それに…限られた時間とはいえ知らない人間を入れることで、この澱んだルクシオールの空気がマシになればいいけどってのもある」

 一人の少年の死が、目前さえも見えないほどに暗い場所へと皆を放り込んでしまった。

 せめて、そういったことを知らない外部の人間を招くことで明るい場所への道標になってくれたら、という思いがあった。

「格納庫まで迎えに行くよ。細かな交渉をしないといけないからね」

 

 

 

 

 格納庫の方は、何やら騒がしかった。

 技術者の性というものか、整備班の面々が興味津々と言った様子で黒い機体の周りに集まっており、何やらかんやらをクレアに尋ねている。

 それを嫌な顔一つせず、クレアは答えている様子だった。

 そして、それを遠巻きながらに見ているルーンエンジェル隊のメンバー達。

 傭兵といえどアウトローに代わりはないためか、信用していいのか悪いのか迷っているように見える。

 だが、タクトに気がつくと五人はやや急ぎ足で近づいてきた。

「ルーンエンジェル隊、全員帰艦しました。先ほどの…」

「ご苦労だったね、皆。とりあえず、報告はいいから通常のシフトに戻ってくれ」

「…了解」

 律儀に報告をしようとするリリィを遮り、その場を解散させた。

 全員、という言葉が言った本人と周りの者全てに、どれだけの痛みを与えたのか分からない。

 なら言わなければいいだろうに…と思われるかもしれないが…。

 今は、五人で全員。だから、五人が無事に帰艦したというのならそれをキチンと告げなければならない。

 そして、現在暫定的に隊長を任せている彼女の性格では、その辺りを考慮するということは難しいだろう。

「…いずれ…時間が傷を塞いでくれるだろうけど、ね…」

 決して、癒えることはないだろう。

 彼が居たという事実を、根本から消してしまわない限りは…。

 

 

 整備班相手に話しこんでいたクレアだったが、不意にこっちを振り返った。

 通信ではよく分からなかったが、こうして直接会ってみると全体的に黒い印象を受ける。

 黒いロングコートを着込み、履いている靴まで黒いからだ。年齢は二十代前半といったところだろうか。

「あんたが司令さんよね? とりあえず、交渉に入りたいんだけど」

「いきなりだね。で、どれくらい欲しいんだ?」

「とりあえず…機体の整備は自分でするから。成功報酬とは別に必要経費ってことで食と住はそっちでもって欲しいんだけど?」

「食事と寝起きする場所くらいは構わないさ。でも、機体整備はいいのかい?」

 必要経費の中に機体整備も含まれるだろうと思っていた。

 だが、クレアはあっけらかんとこう言う。

 それくらい自分でする、と。

「ま、勝手にいじられるの嫌なだけなんだけどね。で、成功報酬なんだけど…」

「…いいのかい、こんなに安くて?」

 クレアが提示した額は相場に比べてかなり低く、ぼったくられるのを覚悟していたタクトにとって、予想外もいいところだった。

「まあ、アタシの私怨もあるからね。別にお金はいらないのよ」

「…まあ、キミがそれでいいならオレは構わないけど…。とりあえず書類にサインしてもらわないといけないから、オレのオフィスまで一緒に来てくれ」

「わかった」

 

 

 

 

「ところでさ…なーんでクルーの連中、皆あんな暗い顔してるの?」

 書類にサインをしながらクレアが尋ねる。

 オフィスに来るまでにすれ違ったクルー全員、一人の例外も無く沈んだ表情をしていた。

 ずっとそれが気に掛かっていたのだ。

「まるで…誰かの葬式にでも行ってきたみたいな空気だし」

「あー…よくわかったね」

 まあ、隠すつもりもなかったけど。とタクトは付け加える。

 それに対し、クレアは呆れを隠し切れない。

 こんな世界で生きていれば仲間の死など日常茶飯事だ。

 とはいえ、慣れてしまうのもある意味では嫌なものだが。

「まあ…とにかく。寝起きする部屋だけどさ、ちょうど空いている部屋が」

「カズヤの部屋は駄目なのだ!!」

 バァンって音がしそうな勢いでドアが開いて、ナノナノがオフィスに飛び込んできた。

 あれ?っと言いたげな二人に対し、ナノナノはクレアを見上げるように睨み付ける。

 が、クレアにしてみれば小さい子が、大きな人相手に精一杯虚勢を張っているようにしか見えず、ついつい笑いだしてしまう。

「いや、別にカズヤの部屋を使うってことはないよ。流石に、ね…」

 僅かに、タクトの表情に影が差す。だが、対照的にクレアはあっけらかんと。

「まあ、最悪。自分の機体のコクピットを寝床にしてもいいけどね」

 慣れない人間には逆に疲れそうな寝床だ…。

「ところでさ、君、誰? アタシはさっき名乗ったから、今度は君が名前教えてよ」

 上から見下ろすのではなく、前屈みになり視線を合わせながら尋ねる。

「ナノナノなのだ。えーと…お姉さん、クレア…なのだ?」

「そーよ。呼び捨てでいいからね。で…艦長さん、何でこんな小さな女の子がこんな場所にいるわけ?」

 常識の持ち主なら確かにそれを聞くだろう。

「ついでに…何で尻尾あるの? いや、なかなかかわいいアクセサリだとは思うけど、世の中にはそーいうの 嫌いな人もいるわよ?」

 一般的な感覚の持ち主なら、これも聞くだろう。

 つくづく、常識外れな者が集まってるんだなぁ。といらん感心をしてしまうタクト。

 そしてタクトに代わり、ナノナノが答えてくれた。

「アクセサリじゃないのだ。ナノナノの一部なのだ。それにナノナノはルーンエンジェル隊のメンバーなのだ。三番機ファーストエイダーのパイロットなのだ!」

 えへん、と言いたげに胸を張って答えるナノナノ。しかしクレアは少し混乱気味だったりする。

「うーん…一度に言われても全部理解するのは無理だわ」

「だろうね。ちょうどいい、ナノナノ。クレアにルクシオールの中をざっと案内してあげてくれないかな?」

 そのついでに、色々と説明してあげてね。と付け加えるのを忘れない。

「了解なのだ。クレア、ついてくるのだ」

「わかったけどさ、そんな急がなくてもいいんじゃない」

 パタパタとオフィスを出て行くナノナノを追いかけて、クレアも小走りで行った。

 二人が出て行ったのを確認した後、不意にタクトは表情を緩め。

「あの様子なら、ナノナノは大丈夫だな…問題は年長者、か…」

 自分の期待したように、この重く澱んだ空気を入れ替えてくれることを期待しつつ。

「さて…悪いけど本当に寝床は自機コクピットを使ってもらうか…?」

 

 

 

 

「つまり、さっきの戦闘で一応加勢してくれた五機の紋章機にそれを操るパイロット…それがルーンエンジェル隊なわけ?」

 案内ついでの説明で、大体のことは理解できた。

 この艦がどれほど型破りな上に、常識外れな者が集まっているかということを。

 もっとも、クレアはあまりそういったことに頓着しない主義なので、「リベラルだね」の一言で済ませたが。

 覚えたことを念のために確認していたのだが、その時になってやっとその話題に触れることになる。

「そうなのだ。でも、前は六人いて、六機だったのだ…」

 ?と疑問符を頭に浮かべるクレア。

 だが、何となく聞いてはいけない気がしたのでそれには触れなかった。

 所詮、部外者に過ぎない自分が口出しすべきことでない。そう思ったからだ。

 だから、別に気にしていたことを尋ねた。

「…あのさ、あのオレンジ色の機体に乗ってた人、誰?」

「リコたんなのだ」

 即答。しかし、

「フルネームは?」

 あだ名を口にするのは躊躇われるので、尋ねなおす。

「アプリコット・桜葉なのだ。でも、皆リコって呼んでるのだ」

「そのリコって子…自殺願望とかあるの? さっきのアレは不味かったわよ」

 腕組みをし、眉をひそめながらクレアが独り言のように言う。

 悪いけれど、戦場に身を置く者の最大の目標は生き残ることだと信じている。

 勝つとか負けるは二の次。意地も誇りも生き延びてこそ。

 だけど、彼女からは生きたいという意思も、勝利への執念も感じられなかった。

 まるで、心にぽっかりと大きな穴が開いて…空虚というのが、一番しっくりくるような。

 もしクレアがいなければ、今頃彼女はあのバケモノの餌食になっていたはず。

「死んじゃったのだ…」

 問いかけに対する答えになっていないが、誰が?と問い返す気は無かった。

 きっとオフィスでの会話に出てきた、カズヤという人間だろう。

 そして、何となくではあるが事情を察してしまった。

「あー…そのカズヤって坊やだか兄ちゃんってさ…その六人目で…まさか…」

 コクリ、と黙ったままナノナノが頷いた。

 うっすらと目じりに涙が浮かんでいる。やばっ、と思ったけれど、もう遅くって。

「…カズヤは、リコたんの恋人だったのだ…。でも…でも、あの怪物に殺されちゃったのだ。ナノナノたち、皆が見ている前で…!!」

 その時のことでも思い出したのだろうか、ポタリポタリと、涙が床を濡らしていく。

 そのカズヤという男が殺されたから…彼女は自暴自棄になっている。言われずともそれくらい分かる。

 クレアは黙ったまま、何もせずにただ泣き止むのを待ち続けた。

 ずっと、ずっと…微動だにせずに…。

 

 …そう、なんだ…。アレに殺されたんだ…。

 

 ごめんね、あなた達人間を…巻き込んでしまって…。

 

「…落ち着いた?」

 泣き止むのを待って、出来る限り穏やかな声音で話しかける。

 下手に止めるより、いっそ思い切り泣かせたほうがいいと思って止めようとしなかった。

「そりゃあ…、幾度と無く死線を乗り越えてきた仲間が死んじゃったら悲しいよ? けどね」

「もう…泣かないって決めたのに…また…泣いちゃったのだ…」

「どういうこと?」

「だって…泣いてばかりいたら、カズヤが安心できないのだ!! それに、一番辛いのはリコたんなのだ!! だから…だから…」

 もうどうしようもないっていうのは、分かっている。

 泣いて、泣いて、泣きじゃくって死んだ人が生き返るっていうのなら、幾等でも涙を流そう。

 けど、どんなに頑張っても死んだ人は生き返らない。

 だから、せめて。心配させないためにも、もう泣かない。自分より辛い人がいるのに、泣いているわけにはいけない。

「…君、アタシが思ってるより強いね」

 小さなその身で仲間に突如として降りかかった災いを、しっかりと受け止めようとしている。

 大人たちがへこんでいる中、たった一人で、だ。

 だから、素直に感心したことをストレートに告げた。

 だけど…。

「もう…もう、絶対泣かないから…どうしたら…リコたんが、また笑ってくれるようになるのか、誰か教えて欲しいのだ!!」

 望んでいるのは、耐える強さではなく友人を救う方法。

 探しても、探しても…それは見つからない。

 例えるなら、それは砂漠に落とした一粒の真珠を探すようなもの。

 見つからないということと同義。知っているのは、それが出来るのは…、死んだ者だけではないだろうか。

「…死んだ人の声は、アタシ達には届かない。そして、同時に人の心の声も」

 諦めたような、それでいて、僅かなりとも可能性を感じさせるクレアの呟き。

 それは、誰に聞かせるためのものか。自分か、ナノナノか、それとも…。

「それを知ることが出来るのは、黒と白を転ずる者だけ。だけど、真実を炙り出すという行為は相応の覚悟を必要とする。知ることなきことを無理に知るゆえに」

「クレア…?」

「気にしなくていいわよ、独り言だからさ。ところで格納庫行きたいんだけど、いい?」

 あの独り言がどういう意味か分からないけれど、クレアはあまり話したくないようだ。

 気が向いたら自分から話してくれるかも。そんな淡い期待を抱いて、ナノナノはクレアを連れて格納庫へと向かう。

「格納庫に、何の用なのだ?」

「自分の商売道具の手入れ。今日の手入れ、してなかったしね」

 商売道具、というのはあの漆黒の紋章機(とタクトは言っていた)のことだろうか。

 それを尋ねると、返ってきたのは意外な答え。

「ライトフレームは紋章機とかじゃない…んだけど、似ているというかなんと言うか…」

「???」

「違うとはいいきれないけど、まるっきりそうでもないってこと」

 だが、ナノナノが疑問符を浮かべていたのはそれが理由ではなく。

「クレアの紋章機、ライトフレームっていうのだ?」

「…言ってなかったっけ?」

 互いに互いをきょとんとした顔で見ていた。端から見ていれば、なんと間抜けな光景か。

 

 

 

 

 左の手首に巻いたブレスレットが、妙に目に留まる。

 いつの間にか身に付けていた。腕に通した記憶が存在しない。

 だけど、もうそんなことだってどうでもいい。

 異様にだるく、重い身体をベッドに投げ出す。何かを考え、行動するということが億劫で仕方ない。

 死んでしまいたいと思っているのに。気が付けばちゃんと命を維持するための行動をしている。

 左の袖を捲くると、細いチェーンでは隠すことの出来ない傷跡が幾つか。

 何度も自殺を試して、その度に止められた跡。仲間達の…余計なお節介によって。

 仕方が無いから、今はもうそういったことはしない。代わりに、眠りの中へと逃げ込む。

 せめて楽しい夢を見たいから。楽しかった頃の残滓に、しがみつきたいから。

 そして、そのままその夢が覚めなければいいのに…。

 叶うことのない期待を抱いて、今日もまた夢の中へと逃げ込む。

 

 

 この声が届かないというのなら、祈ることしかできない。

 

 せめて…悪い夢にうなされることがありませんように。

 

 リコが…楽しかった頃の夢を見れますように…。

 

 

 

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