今でもそれは私達の背に、重く圧し掛かっている。

 

 それはけして消すことも、無かったことにも出来ない過去だ。

 

 やりなおせたら。今でもそう思う。

 

 やりなおせないが故に、後悔は今でも心の奥底に潜み、私達を苛んでいる。

 

                          ――とある者たちの手記より抜粋。

 

 

 第三話 自壊と誓い

 

 どうして…届かないんだよ…。

 

 どうして…気がついてくれないんだ…。

 

 やっぱり、諦めたくないんだ。一度だけでいい…、そしたら、どうしても言いたいことを言えるのに…!!

 

 

 行き場の無い衝動が、憤りが、ずっと暴れ続けている。

 あの日からずっと、それは自分を苛み続けている。

 後悔しても、ずっと付きまとい続ける。

 もう逃げたい…。

 けれど、逃げられない。

 逃げたいと思っている自分の弱さが、行き場を無くした憤りが…。

 

 あの時、死に怯えた自分が…。

 

 どうしようもないほどに、腹立たしくて、許せない。

 

 叩きつける拳の皮が剥け、赤い血肉が見えようと、壁を殴りつけることを止めない。

 痛みなんて感じない。もとより、そんなものを感じる資格などないのかもしれないが。

 幾等願えども、決して叶うことのないこと。

 過ぎ去った時間は決して戻ってこない。だから、後悔だけが積みあがって行く。

 例えやり直すことが出来たとしても…結果は変わらないだろう。

 今までが甘かっただけだ。本当の恐怖なんてものを知らなかった。

 だから、あの時、間近で死を感じた時…その恐怖に怯えた。

 その恐怖がこちらに向かうことを恐れて、何も出来なかった。

 

 何もしなかった。

 

 間違えたどころか、最初から何もしていなかった。

 最悪で、最低な選択。

 

 自分可愛さに仲間を見捨てた。

 

 そう罵られたって、おかしくない。

 現に、ずっと良心はそんな自分を罵り続け、夢に現れる少年も自分を責め続けている。

「…ちくしょおぉぉぉぉぉぉっ!!

 行き場を無くし、ぐちゃぐちゃに混ざった何かを吐き出すかのように叫んだ。

 だけど、それくらいでは完全に抜け切れなくって。

 勢い任せで、壁を殴りつける。

 グシャッ…と嫌な音がした。

 骨が折れたのだと気づくのに、十秒以上かかった。

 気づくまで何も感じなかったのに、気が付くと傷は熱を持ち、痛み始める。

 それに対して…思わず漏れる嘲笑。

「ははっ…何だよ、痛いっていうのかよ…。こんなもんじゃねえだろ…?」

 あの時、カズヤが感じただろう恐怖は、痛みは。

「もっと、痛かったよな…? そうだろ…? だってさ、死ぬんだぜ? 痛かった…んだろ?」

 どれほど呼びかけたところで…その声は、死んだ人間に届かない。

 空虚な心を埋めるための、空しい一人遊び。

「…ちくしょう…、どうしてあの時、ビビッて動けなかったんだよ…。仲間を見捨てて、生き延びて…ちきしょう…」

 力なく、崩れ落ちるように床に膝を付いた。

無事な左手で顔を覆うけれど、髪とは対照的な色をした瞳から、雫が溢れて、落ちる。

 次から次へと。止まることを知らず。溢れだした涙は重力に従い、落ちて床に弾ける。

 悔しさで、やるせなさで、前が見えない。

 あの時、ピクリとも動かなかった自分の手が恨めしい。

 こんな手などいらない、壊してしまっていい。

 そう思って、再び右手を振り上げて、思い切り振り下ろそうとするけれど。

 

 …その右手は動こうとしない。

 

「ちくしょう…どこまで、卑怯なんだよ、俺は…!!」

 零れ落ちた涙と右手から滴る鮮血が混ざり、薄い赤の溜まりを床に作っている。

 それに目を向けずに、緩慢な動作でアニスはトレーニングルームを出て行く。

 

 

 

 

「すみませ〜ん、ナノナノ居ません?」

 珍しく医務室にクレアがやってきた。

ナノナノに艦内を案内された時にやってきただけで、それから一度もここに来たことはない。

「おや、クレアさん。いったいどうしたんですか?」

「あはは、思いっきりライトフレームぶん殴ったら、右の拳が砕けちゃったんですよ」

 普段どおりの穏やかな表情で言うモルデンに対しクレアも笑顔で…しかもサラッと言う。

 ああ、そうですか。と言って…その直後、「えええええっ!?」と医務室から二人の絶叫があがった。

「な、殴ったって…機体を…思い切り、ですか?」

「だだだだ、大丈夫なのだ、クレア!?」

「何やってんだよ、いったい?」

 口をパクパクさせ、呆然とするモルデンに慌しく駆け寄るナノナノ。叫んだのは、この二人だ。

そして最後に、慌てた様子も無くアニスが奥から姿を見せた。怪我でもしたのだろうか?

「んー、別に。殴りたいから殴った。それだけよ」

 砕けた右手は、見るも無残な姿となっている。

「…自分の身体くらい大事にしろよな」

「そりゃそーだけど…あんたには言われたくないわね。リコって子やリリィって奴にもだけど」

 ナノナノに砕けた右手を治してもらいながら、挑発的にクレアは言う。

 ねめつけるような視線が真っ直ぐにアニスを捉えている。

「…どういう意味だよ、そりゃ?」

「自分を大切にしないってことよ。ずっと…後悔ばっかして、自分を省みない奴にはね」

 痛い言葉だ。あの日からずっと、確かに自分はずっと後悔している。

 彷徨う幽鬼のようなアプリコットと、目を合わせることが怖くて。

 夢の中に出てくるカズヤの悲しげな目を、直視することが出来なくて。

 あの時…選択を間違えていなければ…。自分たちが何か行動を起こしていれば、助かったかもしれないのに。

「…知った風な口を聞くんじゃねーよ」

 だが、そんなことは部外者でしかないクレアに言われると…身内に言われる以上に不快でしかない。

「知った風な口じゃないよ、知ってるんだから」

 サックリと言い切られてしまう。

 あの時、あの場に居たのは自分達だけだ。他に誰もいなかった。

 なのに、どうしてクレアはそうも自信たっぷりに言い切れる?

「アンタが医務室にいるのは…やり場の無い憤りを晴らすために、中途半端に何かを殴って骨を折った。ってところじゃないかな?」

「…っ!?」

 どうして知ってるんだ!? そう叫びそうになる。

 クレアの言う通り、自責の念に耐え切れずに、トレーニングルームの壁を思い切り殴ったため、指の骨が折れてしまった。

 だが、思い切りと言っても本当に全力で殴ったわけではない。

 全力で殴れば、拳がグチャグチャに砕けるのは目に見えていたから、インパクトの瞬間に僅かに力が抜けていた。

 だから、指が折れる程度で済んだ。

 何もかも知っている、隠し事なんて出来ない…。クレアの金色の瞳は、そう告げているように見える。

 目を合わせたらいけない、全て見透かされる。

 そう思って、分からない程度に視線を逸らす。

「やり場のない憤りがあるっていうのなら、中途半端なことしたって心は晴れないよ」

 一変して、穏やかな笑顔でそう言う。

「やるのなら…本気で、全てぶち壊す勢いでやらないとね」

「…なら、右手が砕けたのって…」

「思ってる通りだけど、ね。どーにもやり場のない感情の捌け口が見つからなくってさ、そんな時は拳が砕けるのに構わず、何かを殴ってるんだけど」

 自傷癖というわけではない。溜まりに溜まった感情を発散しないことには、何もいいことなどない。

 そういう状況にある時、どうやって溜まった鬱憤などを晴らすかは人それぞれだ。

 クレアは、それが自らの拳が壊れるのに構わず、力いっぱいに何かを殴っているだけのこと。

「…その方法、溜まった憤りとか、全部吹っ飛ぶのか?」

 中途半端に殴ったけど、自分の心を覆う何かはまだ晴れない。

 だから…。

「人によりけりだと思うけどね。けど…」

 クレアはそこで、わざと止める。

 アニスが、ゆらりと壁に向かうのを待って。きつく拳が握られるのを待って。

「今のアニスだったら…切欠にはなるんじゃないかなぁ?」

 何処か楽しげな表情で。気がついたモルデンとナノナノが止めに入るより早く。

「っ!!」

 全身全霊でもって…思い切り、医務室の壁を殴った。

直撃する寸前、再び力を抜こうとする自分を許さずに、全力を込めたまま、壁に直撃しても一切の力を抜くことなく、無理やり捻じりこむように。

 一瞬だけ、医務室が揺れたような感覚と壁が凹んだ…ように錯覚する。

 凹んだ…いや、壊れたのは思い切り叩きつけられた拳。

 先ほどのクレアの右手より酷く壊れて…とても、痛い。

 いや、痛いなんてものじゃない。右手全体が異様に熱くて、シャレになってない苦痛と相俟って耐え切れないほどに苦しい。

 だけど…。

「…カズヤが最後に感じた痛みは、こんなもんじゃないよな」

 放っておいたらどうなるか分からないけれど、早々簡単に死に至るようなものではない。

 だけど、とてつもなく痛い。身も、心も…。

「悪かった…あの時…見捨てちまって…」

 選択を間違えていなければ…どうしていればよかった…。

 ずっと、そうやって悩んで苦しんでいたけれど、それは逃げでしかない。

 本当は…あの時怖くて何も出来なかった、それだけなのに。

 

 この痛みを…魂に刻み付ける。

 

 この痛みを…決して忘れない。

 

 この痛みは…自分への戒め。

 

「親分、手を出すのだ!! とんでもないことになっちゃってるのだ!!」

 クレアの右手は、砕けたと言う表現で事足りるが、今のアニスの右手はそんな生ぬるいものではない。

 

 壊れた。

 

 シンプルに、しかし、それ以上にその状態を言い表す言葉は無いだろう。

 ナノナノの言うがままに右手を差し出しながら、誰に言うわけでもなく、ポツリポツリとアニスが語り始めた。

「…ずっと…あの時どうしてりゃ良かったって、後悔してたんだ」

「…その『あの時』に、何があったの?」

 責めるわけでもなく、無神経な好奇心でもなく…静かにクレアが尋ねる。

 知っていることを、確認するかのように。

 モルデンは壁際に立ち、ナノナノは椅子に座り、両者共に口を開こうとしない。

「…カズヤが殺された時…、ブレイブハートがあのバケモノに捕まった時、もしかしたら、間に合ったかもしれないんだ」

 機動力に優れた五番機、レリックレイダーなら…、一気に肉薄し、バケモノの身体にグラビティクラストを…ジェノサイドボンバーを叩き込んでいれば。

 カズヤが、助かったかもしれない。

「…俺が…あのバケモノに一発撃ち込んでやれば…もしかしたら…」

「…でも、出来なかった?」

「…ああ。怖くて、何も出来なかった。もし喰らわしたら、俺が殺されるんじゃないかって、そんな考えが頭を過ぎったんだ」

「仕方ないよ」

 何の意味も感情も込めずに、クレアが呟いた。

 それに対して、

「仕方ないって…どういうことなのだ!? カズヤが死んじゃったのは、仕方の無いことなのだ!?」

 ナノナノがつっかかるけれど。

「止めとけよ。俺だけじゃない。ナノも、テキーラも、リリィも…リコも、皆…動けなかっただろ?」

「…………」

 仕方ない。

 その言葉で、誤魔化すしかない痛み。

 生きていれば、必ず死は訪れる。絶対というものが存在しないこの世界においての、唯一の例外。

「仕方ないよ。あなた達さ、それまで死ぬとか、そういったマジの恐怖味わったことないでしょ?」

 あんたではなく、あなたと呼んだけれど、それに気が付く者はいない。

「まあな。そういう覚悟はしてるつもりだった。けど、負け知らずだったから、どこかで慢心してたんだ」

「…自分たちは、決して死なない、と」

「ああ…」

 その傲慢は、打ち砕かれた。

 慢心してはいけない。それを学ぶためだけに、身近な者の死というあまりにも重い代償を払うことになってしまった。

「皆…動けなかった。皆、怖かったんだ。自分が死ぬのが」

「…仕方ないね。本気で死と向かい合う羽目になったら、誰だって最初はそうなるもの」

 最初から死を恐れぬ覚悟など誰も抱けない。

 生と死の淵を幾度と無く彷徨い、向こうの世界に半身を浸していなければそれほどの覚悟など持てない。

「もしかしたら、その少年ではなく他の誰かが死んでいたら、どうなっていたのかな」

 それはIFの世界。

 “今”の自分たちには決して掴み取れない可能性。

「…いや、俺が望むのは…二度と間違えない可能性だ」

 過去の選択をやりなおすことなど出来ないし、戻れたって同じ過ちを繰り返すだけだ。

 それなら、これから先同じことが起きたのなら、二度と間違えない。

「それが…俺なりの償いだ」

 カズヤのことだ。きっと生きていたら「仕方ないなぁ」って、困ったように笑いながら許してくれるだろうけれど。

 許されようと、背負った罪という烙印を消すことは出来ない。

 一生後悔を背負って、悔やみきれない思いを抱いて生き続ける。

 そして、二度と間違えない。

 生きているアニスが、死んでしまった…見殺しにしてしまったカズヤに対して出来る僅かなこと。

「…なら、ナノナノはリコたんを絶対に死なせないのだ」

「ああ。寸前で止められたのなら、ともかく…。ざっくりやっちまうとナノじゃねえと、無理だからなぁ…」

「…ザックリって…まーさーか、リコってさ…これ未遂?」

 手首を掻っ切る仕草をするクレア。それに続けて首を掻っ切る仕草もする。

 それを、首を縦に振ることで肯定するアニスとナノナノ。

「シラナミ君が亡くなった直後は、特に酷かったですよ…」

 それまで黙って、三人の会話に耳を傾けていたモルデンがそっと呟くように言った。

「今は無気力程度で済んでいますが…何度も、手首をナイフで切りかけました。実際に切ったことも何回かあります」

「その度に、無理やりナイフ奪って止血して…ナノが来るまで死なないように、必死だったぜ」

 その時のことを思い出してか、ふっと遠い目をするアニス。

「自殺をしようとしなくなっただけマシなのでしょうが…、桜葉さんはあまり良い状態ではありません」

「…死にたいって思ってることに、変わりはねえしな…」

「ん、そーだね…」

 クレアと出会った時も、殺されるというのに、何もせずにじっとしていた。

 生きたいと願っていない。

 願っているのは、死。

 同じ場所に行きたいという、絶望的な救い。

「けど、君らとしては死なせたくないって思ってるんでしょ?」

「当たり前だ!! これ以上、仲間の誰かが死ぬなんて死んでも嫌に決まってるだろ!!」

 二度と間違えない。

 仲間の誰も、犠牲になんてしない。

 これ以上、誰も欠けることのない道を選び取る。

「その上で…絶対に仇を取ってやる!!」

 

 あなたがそう誓うのなら、アタシも誓おう。

 

 あなた達で、あの子を守りきれないというのなら、アタシが庇おう。

 

 それが、あなた達を巻き込んでしまったことへの、アタシの償い。

 

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