自らの無力さに打ちひしがれ、何もしていなかった。

 

だから、何かをしようとする彼女に対し嫌悪を抱いたのかもしれない。

 

嫌うべきは、無力さを嘆く自分自身であったというのに。

 

 

 

                         ――とある者達の手記の一部より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四話 蝕まれるもの

 

 

 

 

 

 

 気分が落ち着かない。

 思い出したように、心臓が大きく跳ね上がる。

 知らない筈の光景を知っている、覚えの無い記憶がある。

 それもこれも…あの人が現れてから。

 正直に言って、近づかないでほしいと思う。

 目を見る度に、様々な光景が、記憶がフラッシュバックするから。

 その度に、幾つかの記憶が抜け落ちていく。

 死んでしまいたいと思っているのなら、記憶なんて抜け落ちてもいいじゃないかと思われそうだけれど。

 カズヤに関する記憶だけは、残しておきたいから。

 ジャラリ、と鎖同士が擦れるかのような音を立てて、ブレスレットの飾りのオニキスが揺れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…桜葉少尉、相変わらずだな…」

「…そうね」

 何度繰り返したか分からない、やりとり。

 それ以外に言う言葉が無くって、互いにそれしか口にしない。

「…私達には、手の出しようがないのか…?」

「…さあね。死にたいって人を無理に留まらせるほうが悪なんじゃないか…そう思わない?」

「……かもしれないが、私は桜葉少尉は生きなければならないと思う」

 言いながら、グラスを満たすワインに口をつける。

 無理して手に入れた上物のはずなのに、不味く感じる。

 時刻は深夜と呼べる時間であり、以前なら二人とも…テキーラもリリィも寝ていることが多い時間だ。

 ここ最近…いや、あの日以来眠れないことがしばしばあり…仕方無しにアルコールに頼っているというわけだ。

 それでも、こうして互いの部屋で顔を見合わせながら飲むようになったのは、本当に最近のことだ。

「…クレア・オルトロス…、一体何様のつもりなんだか…」

 不機嫌そうに、テキーラがその名を呟く。

 その名を出した途端、あまり機嫌が良いとも言えなかったリリィも…。

「…あの者が来てから、桜葉少尉が更に悪くなったからな…」

 ハッキリと確認したわけではないけれど、それだけは言える。

 アプリコットはクレアを避けている…いや、嫌っていると言える。

 その理由も、薄々ではあるが分かっている。

「なんて言うか…シラナミの居た場所を奪われてるって感じなのよねぇ…」

 アニスやナノナノはすっかりと打ち解け、親しげに話をしていたりなどするが。

「信用出来る出来ない以前に…気にくわない存在だ」

 それがリリィとテキーラの一致した意見だった。念のために明記しておくと、カルーアも同意見だ。

 しかしながら、アプリコットがクレアを嫌っているのはそれだけではないのだが…二人には知ることなど出来まい。

「桜葉少尉のことも、仲間内の問題である以上、出来れば部外者のオルトロスには手を出さないで欲しいものだ」

 二人がクレアを嫌う理由としてはこれが一番大きいだろう。

 アプリコットのことは、仲間である自分たちでどうにかしたいと思っている。

「今度、ハッキリと言ったほうがいいかもね。仲間内のことに手を出すなって」

「口で言ったところで、収まるわけがないだろう」

 吐き捨てるような調子で、リリィが言う。

 口で言ったくらいで駄目なら、実力行使するしかないだろう、とも。

 

 

 

 

 そのようなことを思っている者が居るとも露知らず、当のクレアは今日もマイペースに過ごしている。

 こう表記すると誤解されるかもしれないが、職業柄ダラダラしているわけではない。

 自機の動作チェックに、欠かすことなく鍛錬を積んでいる。そして、他人との交流を怠っていない。

 この場合、何やら堅苦しいものを想像するかもしれないが、要はクルー達と雑談したりしているだけだが。

 気が合うのかどうかは知らないが、最近はアニス、ナノナノと行動を共にしていることが多い。

「今日も空振り、か…。やっぱそうそう上手くいくわけないよねぇ」

 頬杖を付き、ため息と共にクレアは言う。

「そりゃそうだろ。そう簡単にリコが立ち直れるんだったら、とっくに立ち直ってるって」

 右に同じく、頬杖を付いた姿勢でアニスが言う。

 そしてナノナノはそれを真似ている。

 二時間ほど前から、三人揃ってティーラウンジで話し込んでいる。

 三人の前には空のグラスやカップが置かれており、普通に考えれば営業妨害なのだろうが、メルバは特に口を挟もうとしない。

「そういえば、クレアはどうしてリコ相手に、そんなマジメに立ち直らせようとしてるんだ?」

「?」

「こう言ったら身も蓋も無いけどよ…、そんなマジメにやる理由が見つからないんだよ」

「ん…そーだね」

 言われて、クレアはついつい苦笑。

 確かに、ただの雇われ傭兵だったらそういったことに進んで関わろうとはしないだろう。

 むしろ、見て見ぬ振りをするほうが自然なのだろうけれど。

「まあ、色々と理由はあるよ? けど…結局は放っておけないからだろうね」

「出来れば、放っておいて欲しいと思っているのだが?」

 不意にかけられた冷たい声。アニスとナノナノはそちらを向くが、クレアは視線を動かすだけに留める。

「忠告…、いや、警告だ。仲間内の問題に部外者である貴様が関わるな」

「…君にそんなこと言われる筋合い無いと思うけどなー」

 突っかかるような言い方だが、気にした風もなくクレアは言う。

 その態度が、警告を告げた者…リリィの神経を逆撫でする。

 ラウンジの空気がにわかに緊迫感を含み、鋭敏な者には殺気さえ感じられる。

「へぇ…見掛け倒しって訳じゃないんだね…。それなら、単純に済ませられるよね?」

 ニヤリと、獰猛な笑みを浮かべながらクレアが言う。間違いなくこの状況を楽しんでいる…。

「無論、な。本気で行く…死んでも恨むな」

 言いながら、わざと鞘走りの音を響かせながら剣を抜き放つリリィに対し。

「最初っから殺す気じゃん。まあ、君が生きて負けたらこっちの要求呑んでもらうわよ」

 拳を握り締め、ゆらりと構える。無手はクレアがもっとも得意とする戦い方だった。

 ラウンジに漂う空気が、肌に刺すように痛い。しかし。

「…喧嘩するなら別の場所でやれよ。ここだと大惨事になるぞー?」

「他の人に迷惑を掛けちゃ駄目なのだ」

 

 

 

 

 結局、ラウンジでは周りへの被害が大きくなるということで展望公園へと移動することに。

 この私闘の見物人は三人。アニスとナノナノは付いてきただけだが、どこからとも無くカルーアが現れ、二人を見ている。

「死ぬか、降参するか、戦闘が続行出来なくなった時点で敗北…それでいいよね?」

「ああ」

 共に上着を脱いで動きやすい格好。リリィは右手に剣、クレアは革手袋を付け、両者の距離はおよそ五メートル程度。

「それじゃ…とっとと終わらせようか?」

「甘く見るな…」

 どれほど怒りやら焦燥に蝕まれていようと、理性はどこまでも冷めている。

 クレアがどれほどの実力を持っているか分からない。

 小細工など通じない相手だと第六感の警鐘、それに従い全速で踏み込みながら、これを避けられたら後が無いという勢いの突きを繰り出す。

 殺すつもりの一撃。殺さないように加減して勝てるかどうか分からないから。

 クレアはそれを黙って見ている。静かに、呼吸を整えながら。

 避ける気が無い…?

 疑問が脳裏を掠めるが、五メートル程度の距離など、瞬く間も無く零距離となる。

 ズブリ…、と剣が相手の身体を貫く嫌な感触が、腕に伝わる。

 寸でのところで身を捻られたため、生憎と狙った場所…心臓を貫くことは無く、刀身は深々と腹部に突き刺さった。

 その時、クレアは右の掌で軽くリリィの腹を叩いた。

「…?」

 訝しげに思うが、特に異常は無い。が、その僅かな時間の内にクレアは左手で刀身を掴み、後ろに下がることで強引に剣を引き抜いた。

 左手で傷口を押さえるものの、ドボドボと堰を切ったように血が溢れ出す。しかし、膝を屈することは無い。

 それに合わせるわけではないが、リリィも数歩下がり…異変に襲われる。

「ッ…!!」

 突如として襲う激痛と込み上げる熱いもの。たまらずに吐き捨てた夥しい量の血。

 何か言おうにも、先ほどクレアが触れた箇所…つまり腹部辺りに異様な痛みが走っており、まともに何か言うことなど出来ない。

 クレアと違い、膝を地面に付き剣を杖代わりにすることで倒れこむのだけは、防ぐ。

「大丈夫…じゃあないよね。ごめーん、手加減無しで打ち込んだから」

「お、おい…? 何やったんだよ?」

 見た限りでは、クレアは攻撃という攻撃はしていない。

 先ほどのとて、殴るとか打つというものではなく、触れる程度でしかない。

 それだけで相手に吐血させるとなると…。

「んー…気功って分かるかな? ま、それで練り上げた気を直接ぶち込んだだけだよ。…けど、内臓破裂、してるかも、ね…」

「…お、お前、少しは加減しろよ!? リリィを殺す気か!?」

 流石に激怒したアニスがクレアに掴み掛かる。実際、内臓破裂となると人を死に至らしめることが出来る。

「いや、殺す気の攻撃喰らわそうとしてきたし、これはこっちも殺す気でやらないと失礼だよねーって思って」

「やり過ぎだろ!!」

 一方で、ナノナノとカルーアが慌ててリリィに駆け寄っていた。

 クレアも重傷と言えば重傷だが、無理をしている様子が見当たらないのでナノナノはこちらを優先したようだ。

「だ、大丈夫ですか〜?」

「リィちゃん、しっかりするのだ!! すぐに治すのだ!!」

「…っ!!」

 何か言おうにも激痛と、溢れ出してくる血とでも言葉にならない。

 立ち上がることも、ままならない。

 認めたくは無いが、戦闘を続行することは不可だ。

「どーする? まだやる? この次はその程度で済まない一撃喰らわすよ?」

「…………」

 手袋を外しながらクレアは気楽に尋ねる。それが死の宣告と変わらないというのに。

 それに対して、リリィはクレアをじっと睨みつけるものの…黙ったまま首を横に振る。

 殺す気でやらないと失礼とか言っているが、それでも本気じゃないことだけは分かる。

 もしも、本気を出して殺そうとしたのだったら、血を吐く程度で済まないことになっていただろう。

 それでも、プライドは納得いかないと憤っているが、それを無理やり理性で押さえ込む。

「プライドとか無いの、君?」

「…ある」

 激痛に耐えながら、必死で言葉を紡ぎだす。破壊された臓器が修復されようと、しばらく痛みは消えそうにも無い。

 傷が癒えたかどうかを確認する間もなく、ナノナノは次はクレアの傷を治しはじめた。

 それなりに平気そうな顔をしているとはいえ、よくよく見れば脂汗が浮かんでおり、やせ我慢をしていたのが伺える。

「だが、今死んだところで…悪い方向にしか働くまい?」

「ま、それ以前に俺達が止めるけどな。これ以上、仲間に死なれてたまるかってんだ」

「…とにかく…、アタシは君に勝った。だから、アタシの提示する条件を呑んでもらうけど?」

「仕方あるまい…。要求は何だ?」

 一拍置いて、クレアはハッキリと自らの条件を告げる。

「これからアタシがしようとすることを邪魔しないで欲しい。それだけ」

「…何をする気だ?」

 怪訝に思ったのはその場にいる全員、同じだった。

「荒療治だけど? これ以上放置したら、リコって子、きっと心臓止まるより先に精神の死を迎えるわよ?」

「…………」

 それも、誰もが思っていたことだった。

 どうしようもない、何も出来ない。そうやって放っておくことしか出来なかった。

 それが悪いほうにしか向かわないと分かっていながら、自分はそれから目を逸らしていた。

 自力で立ち直る以外にどうしようもないと、弱さを肯定していた。

 それが分かっていたから、何とかしようと…自分のせいでもないのに必死だったクレアが嫌いだったのかもしれない。

「…どうしてそこまで必死になる? お前は桜葉少尉と何の関わりもないのに」

「そーだね。けどさ……まあ、どのような道を辿りこそすれ、アレと君達が遭遇する可能性はあったから」

「…?」

「もっとも君らがそれを知ることは無いし、知る必要も無いんだけど…」

 知ったところで、知らなければ良かったと後悔するだけだし…。そう心の中で付け加える。

「…クレアさん、一つよろしいですか?」

「何?」

「…あなたは、何者ですか?」

 いつもののんびりとした雰囲気は微塵もなく、どこまでも真剣にカルーアがクレアに問う。

 その瞬間にクレアの表情が険しくなった。

「…どーいう意味合いで捕らえるべきかな、その質問は?」

「読んで字の如く、ですわ」

「…クレア・オルトロス。フリーマーセナリーで今は相方と離れ離れ。体術と気功が隠し芸…とでも言っておくけど?」

「答える気は無い、ということですか?」

「…知ったら後悔するよ。確実に、ね。それに…今はリコをどーにかするのを優先すべきなんじゃないかな?」

 こんなどこの馬の骨とも知れない傭兵の素性を気にするよりは、と付け加えておく。

「どうにかしたら、教えてくれるというのですか?」

 が、カルーアも早々簡単には引き下がらない。

「…教えなきゃいけないような状況にならない限り、教える気はないね」

「どうしても、ですか?」

「どうしても。知ったら必ず後悔する。こう言うと、好奇心が更に疼くんだろうけど…言い切れるから。後悔するよ、必ず」

 そう言われると、どうしても知りたいと思うのが人の性なのだろうけど。

 普段のクレアとは違う…初めて会った時よりも尚険しいその表情は、尋ねることを躊躇わせるほどに。

「教えなきゃならない状況って、どんな状況なんだ?」

「ん…それも教えられないかな」

「何だよ…何にも教えられない、の一点張りかよ」

「それを教えたら、あなた達は戻れなくなるからね。知らないほうが幸せなことは、多いから」

 好奇心に蝕まれて、正常な判断が出来ずに身を滅ぼした者は少なくは無い。

 そこまで言われて、アニスは渋々といった様子ながらも引き下がった。

「話を戻すが…荒療治をすると言ったな? 上手くいく保障はあるのか?」

「分からない、としか言えないわね。失敗したら今度こそ再起不能になるかもよ?」

「なら、そんな危険な手段使えるかよ!!」

 叫んだのは、アニスだった。

「上手くいけばいいさ。けど、失敗したら取り返しが付かないことになるんだろ? リスクが高すぎるじゃねえか!!」

「…なら、他にいい案はあるのか、アジート少尉?」

 ポツリと、リリィが言った。自然と二人に視線が集まる。

「今まで、考え付く限りのリスクの無い方法を試して…何一つとして上手くいかなかった。なら…」

「代わりの方法なんてねえよ!! けど、失敗したらどうするんだよ!?」

「…それは、臆病者の考え方だよ。最初から何もしなければ何も失わないから。でもね、それじゃあ何も手に入れられない」

 淡々とクレアが告げる。

 しかし、アニスとて本当は理解しているはずだ。

 荒療治でもしなければ、アプリコットが立ち直ることなど無いということを。

 でも、荒療治以外に方法が残っていないと信じたくなくて…、もっと安全な方法があると信じていたくて。

「現実問題として、もう道は残されていない。けど、三人のうち一人でも同意が得られない場合はやらないよ」

 クレアを除くといるのは四人だが、リリィはもう止める資格を喪失しているため、三人である。

「わたくしは止めません。少しでも可能性があるのなら、それに賭けるべきだと思いますわ〜」

「親分、失敗した時のことを考えるから怖いのだ。それに、上手くいけば何も問題無いのだ」

「…なら、俺も賭ける。このままリコが廃人になるのを、黙って見てるってことだけはできねえ…」

 素性の知れない傭兵だろうが何だろうが、今は藁にも縋りたい思いだということは皆同じだ。

 全員が同意したことに満足げに頷き、クレアは言う。

「アタシも出来る限りのことをする。それだけは約束するから」

 

 あの子の記憶がアイツの記憶に塗りつぶされる前に。

 

 それよりも先に、不安定な精神を安定させておかないと…。

 

 きっと…知らないうちにアイツはあの子の全てを取り込んで…。

 

 それで、少しだけ悲しそうな顔をするに決まってるから。

 

 

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