ど……たら、いい………う。
どう……ら、私はこ……を償…………ろう。
誰か、……ている……ら教えてください。
――????
第九話 僅かな猶予(クレア編)
それは…この世界の彼女達にとって、残された僅かな自由の時間なのだろう。
再び、戦いが始まれば…それを静観しようと、参加しようと…死の可能性が付き纏うのだから。
いや、普段から人間の生とは死と隣り合わせだ。ただ、それに気がつかないだけで…。
「…それじゃ、ちょっとやらなきゃいけないことがあるから、アタシは失礼させてもらうわ」
真っ先に出て行ったのはクレアで、その際に。
「あ、リコ。ちょっと一緒に来てくれる?」
とアプリコットに声をかけていった。
「あ、はい」
特に何も考えることなく、彼女はクレアの後を追いかけていこうとしたが、急に立ち止まり。
「アレクさん。これ、お返しします」
そういって銀のブレスレットを渡すと、慌しくクレアを追いかけていった。
別に返してくれなくてもいいのにな…。そんなことを思いながら、アレクは残った四人を見回して。
「…お前らも、好きにしたらどうだ?」
そう告げるのだった。
クレアが向かった先は、格納庫だった。普段なら整備班の人間が居て、とても喧しいこの場所も、今は静まり返っている。
どうしてクレアがこの場所に来たのかは分からないけれど、一体アプリコットに何の用があるのだろう?
「…あのね、リコ。いや、君の中のカズヤかな。用があるのは」
「え…?」
そのことを知っているのは、アレクだけだと思っていたのに…何故、クレアまで?
しかし、そのことに驚いたのは彼女のみで、中に潜む彼は特に驚いた様子を感じさせなかった。
「簡単だよ。仮にも半分は神だからね。君の中の同居人くらい分かるよ」
曰く、アレクがブレスレットに封じられていた時から知っていたそうだ。
アレク以外の魂も一緒に居る、と。
「どーするかはアレクに任せるつもりだったからね…。まあ、それはともかく」
「本当の用は何ですかって、言ってますけど…?」
「アタシもアレクも、『前の世界』の君達のことは知っている。神竜は『前の世界』と『今の世界』、両方全ての人間を覚えてる。そして、その人が辿るかもしれない幾つもの可能性を知ることが出来る。リコ、今からする話は多分、君にはほとんど理解出来ないことだと思う。でも、君の中に居るカズヤの為にも、黙って聞いててね」
「え、ええ…」
クレアは…真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐにアプリコットの目を見ている。
それはとても真剣なもので…逸らすことなど、出来るわけが無い。
「…『前の世界』でのこと、それをリリィに謝るのは、止めておいたほうがいいよ」
「どうしてですかっ!?」
口をついて出た叫びは、彼女の声でありながらアプリコットのものではない。
瞬間的に抑え切れなかった想いが、彼女の口を借りて彼の想いを声にしたのだ。
「リリィもね、『前の世界』のこと思い出してるみたいだし…。思い出していないのなら、謝ってもいいと思う。だけどね…思い出してるんだよ? 君も覚えてるんでしょう? 『前の世界』でどれだけ君達が苦しんだか…ボロボロになって、それでも信じた道を貫いたのを…。それは…君が居たからだよ? けど、『今の世界』の君はリコを選んだ。だからこそ、そっとしておけって言ってるんだから」
「…えっと、カズヤさん?」
声に出して、意識の底に…深い精神の海に居る彼に呼びかける。
―…分かってるさ。どれだけ僕が身勝手なのか。前も、今も…傷つけてばかりじゃないか!!
その悲痛な叫びは、二人の話の意味をほとんど理解出来ないアプリコットにも、痛みを感じさせるほどで。
「…だから、これ以上傷つくのは…お互い、良くないよ…。ごめんね…アタシ達に関わったばかりに…また戦死して、誰かを傷つけさせて…」
―仕方ないさ。これは…、きっと罰なんだよ。『前の世界』で、あの人を省みなかった僕への…。
普通の人間には聞こえることの無い、心の奥底からの声も。半神であるクレアには聞こえてしまう。
その言葉に込められた自虐的なものに、ついに俯いて「ごめん…本当にごめん…」と繰り返す。
「…巻き込んだ責任は、必ず取る。だけど…リコ、君はどーする? この神同士の争いに…介入する?」
それはクレアなりの償いだったのかもしれない。
無関係な人間を争いに巻き込まないのは、目撃者は全て消すという暗黙の了解があるから。
それを忠実に守る冷徹さを持てるアレクと違い…クレアはそういった点で甘さが抜けきれない。
だから、誰かを守ることには一生懸命になれる。口でどんなことを言っていても…本当はやるせなさと後悔を感じている。
この戦いに正義も悪も無く、どちらが勝ったところで世界が滅びるとかいったことも無く。
ただ…黙って世界を見守る者が決まるだけで。
人間には何も、メリットもデメリットも無いこと。
だから…彼女自身の意思に任せるつもりで、本当は何と答えようと彼女をこの戦いから退かせたかった。
「例え行き着く先が一切の希望の無い地獄でも…私は、逃げたりしません」
「…どーいうこと、かな?」
ゆっくりと息を吸って…とても穏やかな微笑みさえも浮かべて、クレアに言った。
「クレアさんがどう言おうと、私はこの戦いから退きません。最後まで…行きます」
行き着いた先ではない。今居るこの場所、それ自体が既に希望の無い地獄に等しいのだ。
後戻りはおろか、前へ進むことさえ出来ない場所だから、最後まで見届けてみようと。
壊れた世界の、どうしようもないほどに…滑稽で、酷い物語を。
「…参ったね。これは、本当に…参ったよ…ははっ」
こんな風にハッキリと言われて、断れるわけが無かった。
結局、彼女はそういう甘さが捨てきれなくて…だからこそ、クレアなのだけれども。
「分かったよ。じゃあ、君の機体にもちょっと細工させてもらうよ。今の君じゃあ奴にダメージ与えられないからね」
そういうと、突然クレアは自分の手のひらを食い破り…そこから血を滴らせた。
「おい!? 何やってんだよ!?」
時折、クレアとアプリコットが話をする以外には静かな格納庫に、誰かの叫びが響く。
一旦、作業の手を止めてクレアはその人に向かって。
「どーしたの、アニス?」
前と同じように、軽い調子で。
「どうしたの、じゃねーだろ!!」
アニスが叫ぶのも、無理は無い。
クレアは自ら食い破った手のひらから溢れる血で、クロスキャリバー全体に複雑な紋様を描いていたのだ。
その紋様は淡く輝き、不気味さを不思議と感じなかった。
しかし、これほど大きな紋様を描こうとなると、相当の血を使うはずなのに。
脂汗を額に滲ませながらも、平気な顔をしているから。
「何やってんだよ!? やせ我慢だろ、ほとんど!! 幾等死なないからって無茶すんなよ!!」
「いや、だからさ…まあ、いいや。リコ、悪いけどナノナノ呼んできてくれない?」
ひょいと、こっちを向いて言うクレア。その際にアイコンタクトが一緒に。
「悪いけど、アニスと二人にしてくれない?」と。
「分かりました。ナノちゃんを呼んできますね」
それを汲み取って、アニスが何か言い出す暇を与えないかのように素早く格納庫を出て行った。
それを見届けて、クレアはアニスに問いかける。
君は、どうする…と。
返ってくる答えは…ほとんど予想が付いていたけれど。
「聞くまでも無いだろ。アイツを…ぶっ殺すに決まってる」
「…つまり、カズヤの仇を取るってことだよね?」
「そうだよ。って、何で今更そんなことを聞くんだよ?」
「じゃあさ」
まるで今日の夕飯の献立でも言うかのような気楽さで。
「アタシとアレクも殺さないといけないよね」
「…っ!?」
気がつかない振りをしていただけで、もしかしたらどこかで気がついていたのかもしれない。
仇を取ると、誓った時…クレアはその場に居た。その誓いを、どんな思いで聞いていたのだろうか…。
関わらなければ、よかったのだから。
そうしたら、初めからこんなことにならなくて…。
「って、今更じゃねーかよ…そんなこと」
もう起きてしまった事象を、無かったことには出来ないんだから。だから諦めるしかないわけで…。
「じゃあさ…もしアタシとアレクを殺すことで…こんなことが起きる前の日々に戻れるって言われたらどうする?」
「…無理だろ。殺せないんだから」
ほんの僅かな、悪あがき。どうして、このような言葉を言うのだろうか…。
本当は分かってる。今、クロスキャリバーに施していることが、自分の言った言葉を否定するものだ。
「無理じゃないよ。君の手に、この機体と同じように血で紋様を描けばいい。そうすれば、君はアタシを殺せる」
「…………」
「わざわざ紋章機に描いてるのは、アイツと決着付けるなら、どうしても外へ出ることになるからだしね。力を使って生み出した影…『カケラ』は普通の人間でも殺せる。でも、神を殺すは神の血の加護を持つもののみ。人間然り、武具然り。こういった兵器なら」
「あのさ、もういいからよ…黙ってくれよ」
「どーして、かな?」
どこか不思議そうな、しかし、悪戯をしているかのような表情でクレアが言うから。
「分かって言ってるんじゃねえかよ!!」
ついキレたくもなる。
「殺せるか、普通!? 今まで仲良くやってきといて、それで実は敵でしたとか裏切り者です、ならまだ恨めるからいいさ!! 確かに、原因作ったのはお前だろうけど、ずっとあの日を後悔して、立ち止まってた俺達の背中をドンって押して、前へ進ませたのお前じゃねーかよ!!」
「そうだね。まあ…罪滅ぼしのつもりだったんだよね、うん」
「…ああ、もう!! 友達だと思ってる!! だから殺したくない、これでいいだろ、文句あるか!?」
「あはは…怒ることないじゃん」
「お、ま、え、が怒らせたんだろうが!!」
「ごめんごめん。…でもね、これだけは言っておくよ?」
苦笑いを浮かべていたのが一転し、真剣な表情で…覚悟を試すかのように問いかける。
「世界のためでもない、自分の望む未来のためでもない、大切な人のためでもない…ただ一人の友人のために命を投げ出す覚悟はある?」
「…どういうことだ、それ?」
「…君の命の重さはどれくらいかって聞いてる。死んだ友達のために、自分の命を失う覚悟が出来るの?」
「出来るさ。いや、もう覚悟はしてる」
即答。何の躊躇いも無く、口先だけでなく…強い決意を込めて、アニスはクレアに向かって言う。
だけど、クレアは普段見せることのない、冷たい表情で続ける。
「君の命はそんなに安いものなの? そう簡単に投げ出せるほどに。たった一度きりの人生、まして君はまだ」
「安いさ」
そのクレアの言葉を遮って、あっけらかんと…何も気負わずに、自然体で。
そう、どこまでもいつも通りに。
「俺の命で、やりたいことがやれるっていうのなら…安いものじゃないか? 世の中にはもっと高いものがあるんだしよ」
何でもないように言うから、決意とかがにじみ出る真剣な表情で無いから。
だから…その言葉は決して軽くなく、逆に…図りきれないほどの重みを感じさせて。
自暴自棄になって投げ出したわけでもない。この状況を理解し、世界の危機とかそんなものと無縁な…。
神同士の私闘、そしてそれに巻き込まれた友人の復讐のために…命を捨てることぐらい出来ると、彼女は言い切ったのだ。
復讐なんて普通は否定されたり、成し遂げた後にもっと大きな目的の為の通過点に過ぎないけど、この物語はそれで終わりなのに。
「その代わりさ、この戦いが終わって…その時、俺達が全員生き延びてたら…何かご褒美くれよ」
かつての輝いていた日々と寸分変わらないように、爽やかに笑うから。
「いいよ。君らが望むなら世界でも神の座でも、何でもあげていいかもね」
クレアもそれにつられて、本当に笑った。見せ掛けじゃなくて、本当に。
そして…聞こえないように、そっと呟く。
「…強くなったね。あの頃、ずっと後悔抱えてうじうじしてたのが嘘みたいだよ」
「もう大丈夫なのだ。怪我なんてすっかり治っちゃったのだ」
ザックリと切れていた手のひらの傷は、完全に塞がっている。
さっきまで大きな傷があったと言われても、実際に見た者以外には分からないだろう。
「ありがとねー。結構出血したから、やっぱ辛いわ…」
そう言いながらも、表情には辛さなど見えない。無理して余裕を見せている風に見えないから、辛いというのはきっと軽口。
何時だってクレアは余裕を見せている。よほどのことが無い限り、切羽詰った表情を見せようとはしない。
何となく気になったこと。だから、訊いてみた。
「…辛いのだ? それとも辛くないのだ?」
「ん? ああ…辛くは無いかな。言ってみただけ」
「クレアはいつも余裕を見せてるから、そういったのが分かりにくいのだ」
少し怒ったように言うナノナノの頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「そーだね。でもね…辛い時でも、辛くないって自分に言い聞かせると辛くないからね。自分に暗示をかけるって感じで」
痛くても、痛くないと言い聞かせれば痛みは感じないから。
何時だって、余裕をかましておこうと思って生き続けたから。
「…だからかな。他人に暗示をかけるのも得意になったんだよね」
ポツリと、聞こえないように言う。その視線は、アプリコットに向けられている。
「…でも、アタシは前を見るようにしただけ。それから先は、あの子が自力で歩んだからね…」
「クレア?」
「あ、ごめんごめん。少しボケッとしてたわ…。ところでさ、ナノナノはどーするの? 一緒に来る? それとも寝てる?」
「一緒に行くのだ」
「そっか。じゃあ、明日にでもアレ描いとくね」
まるで、近所にお使いに行くかのような気楽さ。でも、これくらいの軽さでいいのかもしれない。
もしかしたら、自分達は深く考えすぎてるんじゃないか?
仲良さげなクレアとナノナノを見て、ふとアニスとアプリコットはそう思った。
けれども、それはきっとまだ精神が未熟だからこそ…言うなれば、幼いからこそ、そんな風に軽く決められるんだと思う。
「…けどね。一緒に来る以上は、覚悟がいるよ。アタシもアレクも頑張るけどね。でも守りきれないかもしれない」
「大丈夫なのだ。もう絶対に…誰も死んだりしないのだ」
そう言って笑った顔は、一片の疑いも無くて。無邪気とさえいえるほどに。
信じている。誰も死なないと、もう誰も、手が届かないほど遠くへ行ってしまうことはない、と。
「そーだね…。とりあえず、流石に今日はもう紋様は描けないけど…やれることはまだあるし」
そう言って、右腕を伸ばす。視線の先にあるのは、漆黒の機体。黒一色で塗りつぶされた、まるで影のような機体。
「今までご苦労様」
その呟きと共に、右手を軽く振ると…漆黒の戦闘機は、泥のようになり…その下に存在する影へと溶け込んでゆく。
それを見ていたアプリコット、アニス、ナノナノは目が点になっている。
「…ライト、すなわち右。フレームは骨格…右半身って意味のつもりだったんだけどね…やっぱネーミングセンスは大事だね、うん」
「いや、そうじゃなくて…あれ、泥だったのか!? け、けど、普通に動いてたし…」
「泥じゃなくて影だよ。影を具現化させて、紋章機だっけ? あれと同じ構造を持たせてただけだよ。影を操るのは、アイツの専売特許ってわけじゃないからね」
そう言って、クレアは自分の影に手を突っ込み、そこから黒いナイフを取り出した。
今言った言葉が確かなら、このナイフも影を具現化させてナイフと同じ構造を持たせたもの…なのだろう。
もちろん、切れるよ。そう言って、自分の髪を数本切ってみせた。
「その気になれば、何でも作れるしね。けど、流石に戦闘機…しかも最強と名高い紋章機を影で作るのは大変だったわ…。見掛け倒しのハリボテならいいんだろうけど、流石に機関部だの武装、シールドまで構造を再現したら、それを維持するのに手一杯で他に影を作り出せなくなったしねー」
「…一つ、質問していいですか?」
「何?」
「…どうして、紋章機を影で作ろうって思ったんですか?」
そうアプリコットが尋ねると。
「いや、…やっぱ最強って言葉への憧れが…。本当は宇宙服とか無しで、生身で宇宙で行動出来るんだけどね、ほら、人間は宇宙では生きられないから。常識的におかしいでしょ? それで、何か船を作るべきだなと思って、傭兵だから戦闘機でいいかなと思って…、ならいっそ最強と名高い紋章機を影で作ろうと…」
顔を逸らし、視線は泳ぎ、微妙に声は震えている。
その瞬間、誰もが心の中で「子どもっぽいと思われるのが嫌だったんだなぁ」と呟いたとか。
「いくら半分神様でも、あれ…機械いじりとかしたこと無いから、実際に作れないし。構造はそっくりそのままでも、動かすための動力はアタシの精神力だし…通信も、あれはテレパシーに近いものを、通信を繋いでるように見せかけただけで…って、なんでアタシはこんな言い訳しなきゃいけないのさ」
「いや、お前が勝手に言い出したんだろ」
微妙にやる気の無いツッコミが返ってきた。
そして、うんうんと言いたげに頷く二人。ついでにカズヤも頷いていたのだけれど、それを知ってるのはアプリコットだけで。
「…容赦ないねー、心が折れるかも…」
そんなことを言いながら、とぼとぼとどこかへ向かうクレア。
口でそんなことを言っても、やはりそれほど堪えているわけではないようで。
「どこに行くんだ?」
「ブリッジ。たぶん、アレクが待ってるから」
気楽に尋ねるアニスに返した言葉は、いつも通りの気楽さで。
やっぱり堪えてるわけじゃないんだ…。三人がそう思ったのは、当然のことで。