失わ……しまった全てを、取り戻して…………。

 

 だけど、……それを………ことは出来ない。

 

 それは………持つ…………ったとしても…。

 

                ――????

 

 

 

 

 

 

 第十話 僅かな猶予(アレク編)

 

 

 

 

 

 

 クレアがアプリコットらと話をし、格納庫で作業をしている時…

その頃、アレクは一人、人気の無いルクシオールを勝手に歩き回っていた。

 ブレスレットに封じられていた時、外を知覚出来ていなかったわけではないので、迷うことなど無かった。

 まして…彼を除いて無事な者は六人だけ。彼の行動を咎める者など、誰一人としていなかった。

 咎める者は、だ。

「アレクさん、少し時間ありませんか〜?」

 のんびりとした…しかし、それに似合わないどこか棘を含んだ声。

 振り返らずとも、それが誰のものか分かる。だから、振り返らない。

「無いって言ったら?」

「それが嘘の可能性が高いので、強制連行ということになりますわ〜」

 普段の彼女らしくない、本気さを感じる。肩をすくめ、振り返りながらアレクは尋ねる。

「まあ、いいけどさ。で、どこまで行けばいいのさ?」

「邪魔が来ない場所、ですわ〜」

 

 

「で、わざわざ実験室かよ。それと…客相手にこの手の実験室名物、ビーカーコーヒーとはどうなんだ?」

 壁に背を預け、右手に持ったビーカーに口を付ける。綺麗に洗っているからか、特に薬品の匂いなどはない。

 味にも問題は無い。まあ、無味無臭の薬でも入れられていたらどうしようもないが…。

「…なあ、使い魔のあの猫…どうなったんだ?」

 ふと気にかかったことを、尋ねてみる。返ってくる結果は、きっと予想から外れないだろうと思いながら

「…………」

 カルーアはアレクの問いに答えずに、沈黙をもって彼の予想を肯定するのであった。

「…そうか。それで、用は何?」

 その問いに…感情を抑えて、出来る限り淡々とカルーアは尋ねる。

「あなた達の戦い…、どちらが勝ったほうが…人間に有利になりますか?」

 聞きたかったのは、そのことか…。確かに、気になるのはわかるのだが。

「…君が仲間の仇と手を組む覚悟があるとは思えないが…?」

 不意にアレクの目が鋭利さを宿し…並の人間なら気絶しかねないほどの、威圧感をその身から放ち始める。

 しかし。

 神という強大な存在の前に人間なんて紙切れ以下でしかないが。

 目前の青年は、半分とはいえ神たるもの。それに対して…一歩も退くことも無く堂々と彼女は言う。

 争いごとを苦手とする彼女が…今にも殴りかかってきそうな雰囲気の青年を前にして、だ。

「もしも…あなたとクレアさんが…人間にとって…私達に取って不利になるような世界管理をするのであれば、カズヤさんの仇を取った後、貴方達を殺します」

「へぇ…どうやって? 人間に、神の魂を取り込んだ俺は」

「それでも、半分は人間ですから」

 だから、その半分の…人間としての部分を殺すというのだ。神の部分を殺すことは出来なくとも…。

 そう…穏やかな、普段見せるそれを全く変わらない笑顔で言うから…途方も無い年月を生きた彼にさえも、冷や汗を流させる。

「…怖いな、そりゃ」

 久しく感じていない恐怖を、彼は感じる羽目になった。もっとも…感じたくなど無かったのだが。

「まあ、結論から言ってしまうとな…どっちが勝っても世界そのものに大きな変化は無い。どちらも必要以上に世界に介入はしない。まあ、退屈を紛らわすために人間社会に入り込んで生活してみたりとかはするだろうけどな…」

「それは、本当ですか?」

「当たり前だ。大体、破壊神でも邪神でも無いのに世界や人間滅ぼしたりするわけないだろ? 『今の世界』作り直した時だって、ご丁寧に協力したんだ。『前の世界』とそっくりそのままに作り上げるのに、アイツは苦労を惜しまなかった…。けど…俺もアイツの考えてることが分かるわけじゃないからな…」

 ふと思い出すのは、『前の世界』でのこと。

 クレアと別行動を取っていた時、奴と遭遇してしまったのだ。しかも、街のど真ん中で。

 周りが何も無い…それこそ、命あるものが住む惑星などが近くに無い辺境宙域などでなら、そのまま戦闘になっただろう。

 しかし、互いに人の姿をして人間社会に紛れ込んでいる状態。騒ぎになることを嫌い、その場はお互い何も無かったかのように去って行った。

 止むを得ない場合以外、決して他人を巻き込まない。それが暗黙の了解だったから。

 そんなことを思い出しながら、今回のことを振り返ってみる。

「…全ては辺境で起きた失踪事件から始まったんだよな…」

 忘れている人もいるかもしれないが、何も無いはずの辺境で幾つもの船団が消息を絶ったのが、始まりだった。

 関係無い者を巻き込まないように注意はしている。しかし、余波に巻き込まれるものは存在する。

「そして、お前らがやってきた」

 その理由を調べるために派遣されてきた。そして、カズヤは死んだ…。もしかしたら、皆殺しにするつもりだったのかもしれない。

 だけど、何の気まぐれか…それだけでどこかへ行ってしまった。

理由は分からない。しかし…アプリコット達は助かったのだ。

「だから…もう一度遭遇した時に、助けようって思ったんだろうな」

 クレアと不定なる者が戦っている時に…あのまま逃げていればよかったのに…再び姿を現してしまったから。

 あの時、自分が悩むことなく助けに入っていればカズヤは死なずに済んだかもしれない。

 その後悔があったから、クレアはこの艦に雇われた。罪滅ぼしになるとは思わない。けれど、何もしないよりはマシだと思って。

 そして、アレクは彷徨い続けるカズヤの魂を取り込んだ。死者の世界に行かずに彷徨う魂はいずれ崩壊するから。

 何時か渡せる時が来るのを、綻んだ封印が解けるのを待ちながら…。

 もっとも…そのことを知っているのは彼以外には、クレアとアプリコットのみだろうが。

「それで…君はどうする?」

「そうですわ〜。皆、家族のような人達ですから〜。今更…一人で逃げるわけには行きませんから」

 大切な友人で…兄弟姉妹みたいな仲間。

 ナノナノはまだ幼くて甘えん坊の末の妹。アプリコットはしっかり者の四女。アニスはガサツだけど優しい三女で、リリィは頼りになりそうな次女。

 カズヤは…アニスと同じ歳だから、真ん中に居るたった一人の男の子で…。

皆、仲が良くて…時々、喧嘩したりするかもしれないけど、本当に…皆、仲が良くて…。

 一瞬だけ、瞳の奥に燃えた黒い炎。それをアレクは見逃さない。

 それを見て…少しだけ羨ましいなと思った。

 家族と呼べる者達は…遠い、気が遠くなるほど遠い昔に失って。

 ただひたすらに宿敵と戦い続けたこの道のりで…友と呼べた者達を幾度と無く失い。

 クレア以外の他者との関わりをほとんど絶っていた彼には…それほどまでに澄んだ炎を…それが何色であれ…宿すことなど忘れてしまったから。

 だから、それを素直に口にする。

「…羨ましいな。それほど強く誰かを憎んだり出来るのって」

「…?」

「まあ、君には…いや、お前には分からないよ。それに…分からなくていいし、な…」

 『今の世界』になって以来、数刻前までずっと封印されていた青年は目を伏せ、どこか寂しげに呟く。

 その寂しさを理解してやれるものは、同じ運命を背負う彼の片割れのみなのだろう…。

「ですが…例え、この戦いが終わっても…もう、誰も帰ってこないのでしょうが…」

「……誤魔化すわけにはいかないな。そーだよ、誰も…帰ってこない。神様でも…それだけはやったらいけないんだ」

 誰も…消えた人たちは帰ってこないし、メチャクチャになった彼女らの人生もやりなおせない。

 全て手遅れで…でも、『今の彼女達』には今、この世界しかなくて…ここでしか生きていけなくて。

「…とんだ喜劇だよな」

 つい、アレクが漏らした言葉。

 たった二人…正確には、三人だけの舞台で彼女達は役者でも裏方でも、まして観客ですら無かったのに。

 急な台本の変更で、本人達の都合を無視して舞台に借り出されて、この滑稽な舞台を演出することになったのだから。

 それも…名も無きエキストラではなくて、名前を持った役なのだから。

「全然笑えない喜劇だ…本当に…」

 そして…勝手に役者として配置されてしまった彼女らへの詫びは何も出来なくて。

「せめて…楽しい夢でも見れたらいいのにな」

 

 

 

 

 ぼんやりと、ベンチに腰掛けて天井ではなく作り物の空を見上げる。

 何時だってここは快晴で、機械が壊れたり雨が降ったりすることなど無い。作り物の陽光を浴びながら、何をするわけでもなく。

「…何時も、ここに居る気がするな」

 つい口をついて出た言葉に、思わず苦い笑みを浮かべてしまう。

 確かに、何時もここに居た。

 ヴェレルとの決戦を控えた時…、騒乱の最中にあって彼女が自分を許した時…、あの降り注ぐ雨の中交わした最後の約束。

 そう…何時だって、自分はここに居た…『前』の自分は。

「なーに難しい顔で考えてるんだよ、っと」

「わっ!?」

 咄嗟に伸ばした手は、投げられたものを正確に掴んだ。

投げられたのは…開けていない缶コーヒー。直撃していたら相当痛かっただろう…。

 投げた本人は何食わぬ顔ですたすたと近づいてくる。少しムカっと来たので勝手に開けて飲んだ。

「イライラしてる時は、砂糖が一番だからな。横、座るぞ」

 答えるよりも先に、勝手に座られるが特に文句は言わない。とりあえず無視しようと思ったのだろう。

 無視されている本人はそれを気にする風でもなく、膝に肘を付き、頬杖を突いている。

 しばらく、互いに我関せず的な空気が流れるが、さらっとアレクはそれを破る。

「…『前の世界』の自分を、愚かだと思うか?」

 しかも、今考えていたことを的確に突いてくる。

「…………」

 けれど、その問いに、彼女は答えない。答えたくないのか、それとも…。

「俺は『前の世界』で、お前らと関わりなんて持ってなかったけど…これだけは言える」

「…?」

 振り向いて隣に座る青年の顔を見るけれど。

アレクは、決して彼女を見ていない。

ただ、真っ直ぐに…何も無い真正面をじっと見ている。もしかしたら、彼には何か見えているのかもしれない。

「お前は、最後の時を除いて忠義の騎士だったよ。誰がそれを認めなくても、俺はそれを認める」

「違う」

 即返ってきた、否定の言葉。

 ヤバ、まずったかな…。表情に出すことなく、心の中でそう呟く。

 けれど、慰めでもなんでも無く、アレクはそう思っていたのだけれど…。

「そんなことで悩んでいるわけではない」

「ん…けど、『前の世界の自分』の記憶に悩んでるのは、間違ってないんだろ?」

「…………」

 答えないけど、その沈黙はアレクの言葉を肯定するものだった。

「あー…もしかして、人間関係か? とゆーか、それ以外ありえないか」

「割り切ろうと思っても、中々な…」

「そりゃ仕方ないだろうな…。ふつーさ、生まれ変わっても同じ相手探すだろうけど…繰り返したくなかったんだろ?」

「…忘れていても、どこかで覚えていた。だからきっと、避けてたんだろうな」

カズヤがまだ健在だった頃…、周りの者達にはカズヤとリリィは互いに一歩引いたように接していた、と言っていた。

互いに何故かは分からないけれど、「コイツと深く関わるな」と強迫観念にも似たものを感じていたからだ。

「そっくりそのままに作り直した世界なのに…そんな些細なことで『前の世界』と違ってくるとは思わなかったぜ」

 言いながら苦笑いを浮かべるアレク。

 クロノ・クェイク…、暗黒の時代…、エオニア戦役、ヴァル・ファスク大戦…、そしてNEUEでのクーデター…。

 起きた事件は何も変わらない。そこで誰がどのように動いたのかも、その結果も。

 そっくりそのまま繰り返された歴史の中で、彼が彼女を選んだゆえに違う道を歩みだした世界。

 『前の世界』では、クーデター鎮圧の直後に、大きな事件が起きて…それが収まった後、皆バラバラになった。

 カズヤは最後の決戦で戦死、リリィは軍を脱走。その後は消息不明。

アニスとナノナノは除隊後、脱走した彼女を追いかけたけれど…旅立った後、アプリコット達の前に再び姿を現すことはなかった。

アプリコットとカルーアは世界を変えるために東西を奔走。皆が帰ってきた時、胸を張って迎えられるようにしたいと思って。

だから、六人で揃って雑談をしたりしたのは決戦前…ピロティで騒いだのが最後。

どうして…六人揃って物語の終わりを迎えることが出来ないのだろう、『前の世界』でも、『今の世界』でも。

「慰めにならないだろうけど…お前が裏切り者と呼ばれたあの事件は…不確定な事象だ。ぶっちゃけ、カズヤがお前を選んだ時点で起きることが確定するわけじゃない。そうなった場合、かなり低い確率で起きる…ランダムな災害みたいなもんだよ」

「本当に、慰めにならないな…」

 幾度と無く繰り返し、しつこいだろうけれども…もう、戻れないのだ。

 アレクの言葉は罪滅ぼしにもならず、逆に傷口に塩を塗りこむようなことで。

「結局、俺達が悪いんだよ。全部、何もかも。『前の世界』が滅びなきゃ、せめてあの世で仲良くやれたのにな。なのに、そこに住む全ての命の意思を無視して世界は滅びた」

「神同士の、争いで…か」

「…失われた黄金の時代。いや、輝いていた時代は失われた、かな。まさか俺も、『前の世界』の記憶を思い出す奴がいるとは思わなかったぜ…」

「正直に言えば、思い出したくなかった」

「…だろうな。『前の世界』の記憶消すか? それくらいなら、俺だけでも出来るが」

「それは…嫌だ」

 僅かに迷いを含んだ返事。それでも、アレクはそれに対して僅かに驚いた。

「…まあ、お前がそう言うならいいけどよ。ま、自分自身の記憶に変わりないからな…消しても、それから逃げることは出来ないしな…」

 どうせ逃げられないのなら、それをしっかりと抱えたままのほうがいい。

 そんな自暴自棄にも似た感情。

「結局…それは自身の過去で、過去から逃げられないっていう当たり前の理屈で、な」

「なら、目を逸らさずに、真っ直ぐ見たまま歩いたほうが余程マシなだけだ」

「結局、そうやって割り切るしかないんだよな…」

 同情するかのように言って。

 何とも言えない、重苦しい空気が支配してゆく中で、アレクはポツリと言った。

「悪かったな、俺達のせいで…」

 改めて考えてみて、巻き込まれただけの人達の多さに軽いショックを感じる。

 今まで、そうやって巻き込まれる人たちは皆無だったのに…どうして、今はこれほどまでに大勢が巻き込まれてしまったのだろう、と。

 アレクの見つめる先には、壁があるだけで。ルクシオールを抱く漆黒の海も、孤島のように漂う星も見えない。

 …あてどなく暗い海を彷徨う船を導くものは無い。何しろ、行く先さえも分からないのだから。

 気が遠くなるくらいに、数えることさえ面倒なほどに生きた青年でも…悟れないものが、分からないものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…クレア…いや、姉貴…」

 

 振り返ることなく、青年は後ろから近づく片割れに声をかける。

 感じているのは、気配などではない。まして足音など消している。

 それでも、分かる。己の半身が、近づいてくる感覚は…例え意識を失っていようと感じることが出来るから。

 

「…昔からアレクは星を見るのが好きだったよねー。ここ、気に入ったの?」

「…ああ」

 

 アレクの目は真っ直ぐに、前だけを見ている。

スクリーンに映る外の光景。星を抱く、澄み切った穏やかな闇を。

 

「地上から見上げた星も綺麗だけど…宇宙で見る星も好きだよ」

「…そーだね」

 

 すっと、音を立てずに双子の弟の隣に立つ。

 靴が床を蹴る音も、黒衣の擦れる僅かな音も、無く。

 

「アレク…どうしても、ラストステージに上がる気は…最終幕が上がった時、舞台に立つのは嫌だ?」

 

 姉の問いに、弟は始めから決まっていた答えを…残酷な言葉を返す。

 

「ああ。…ほら、俺は弟だからさ、姉貴にカッコいいとこは譲らないと」

 

 何時もそう言って、アレクはクレアに対して一歩退く。

 双子なのに…どうして姉と弟なのだろう。

 何時の頃からか忘れてしまったけれど…クレアはずっとそう思っていた。

 

「姉貴になら、任せられるしさ」

「…仕方ないわね、ホントに…」

 

 ため息と共に、呟いたその言葉。

 本当に…本当に、長い付き合いだから。お互いに言う言葉もそれに対する返事なんて、始めから分かっていて。

 始めからこのやり取りは決まっていたことだけど、それでも、それを聞いて…弟は僅かに微笑んで。

 青年は僅かに力を使い、自分達以外の…今、ここに存在する命ある者を見る。

 そして、自らの右手に巻かれたブレスレットを、ゆっくりと外して…クレアに渡した。

 

 

「だから…俺の力は、姉貴に託すよ」

 

 

 

 

 

 

 

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