さあ、開幕だ。
この滑稽な悲劇の最終幕を開こう。
台本など初めから存在しない、どのような結末を迎えるか分からない。
全ては役者達のアドリブ次第…だからこそ、楽しいんじゃないか。
第十一話 終わりの始まり
「来た、か…」
じっと、動かずにスクリーンを睨み続けるアレク。
スクリーンに映されているのは、銀色の髪と赤と蒼の色違いの目を持つ青年。
『前の世界』で何度か見た姿。
定かざる姿を持たないがゆえに、どのような姿にもなれる。
ゆえに強き力の象徴たる生物の姿で現れると思っていたのだが。
「来るの、早いよねー」
その隣で、クレアが感心したかのように呟く。
いつもと変わらぬ調子で言うが…アレクは、姉が余裕を無くしていることなど見抜いていた。
視線でそれを問いかけると、苦笑いを浮かべて。
「…そうだね。余裕でいられないよ」
遠い、近い、幾年もの過去へと思いを馳せる。
幾多の犠牲の上に…今、ここに居る。
何も生み出さずに…ただ、全てを壊してゆくだけで。
封印をかけられ…それから、途方もない時間がまた過ぎて行った。
力を封じられているが故に、終わらせることの出来ない戦いを繰り返し。
「どうなっても構わないって思ってたけど…でも、今は…負けるわけにはいかない。そう思ってる。あの子らのためにも、ね」
だから余裕などかませない。
自分達のせいで、人生を狂わされてしまった者たちのためにも。
その人達を友と呼ぶのであれば、絶対に…。
「…行ってくるね」
「…ああ」
互いの手を打ち鳴らし、姉はブリッジを出て行き、弟はその場に留まった。
偶然にも…二人は別れた後に、互いに同じ言葉を言っていた。
「終わらせるために」
しかし、その言葉を言ったのは、双子だけではなかった。
敵が現れたと、館内放送で伝えられた直後に…誰かが同じ言葉を言っていた。
望まぬ別れから始まった、この悲劇の物語を…。
「…終わらせるために」
特別な思い入れがあるほど、この部屋には長く居なかった。
だけど…一度だけ見回して…部屋に存在する全てのものを、刻み付ける。
…きっと、ここにはもう戻ってこないだろうから。
この部屋で過ごした短い時間を思い出しながら…二度と戻らぬ光景を思い出しながら。
そっと、それを奥にしまって鍵をかける。
忘れるのではなく、あくまでも自分の胸の内にしまう。
例え、自分という存在が崩壊しても、決して失われたりしないように。
最後に、「さよなら」と…誰に言うわけでも無く、そう言って。
彼女は部屋を後にした。
恐らく、他のメンバー達は既にDブロックまで降りてしまっているのだろう。
タイミングが悪いのか、それとも良いのか…その時居たのは、クレアとアプリコット、そしてリリィだった。
互いに無言。Dブロックまで降りるのに、時間などかからないはずなのに、とてもそれが長く感じる。
謝るなら、これが最後のチャンス…。心の奥底で、『彼』が悩んでいるのがよく分かった。
気が付かれないように、僅かに視線をずらし横顔を覗き見るが、前髪に隠れてその表情は分からない。
今も、彼女が何を考えているのか…分かりはしない。
―ずっと気になってたんですけど…?
―ん、何?
―…『前の世界』で、一体何をやっちゃったんですか…?
ずっと気にかかっていたこと。ずっと、何を悩んでいるのか…分からないのが歯がゆくて。
クレアに尋ねても「…自力で思い出せないなら、聞かないほうがいい」と言われ。
アレクに尋ねたところで「…俺に聞かれても困るんだがな」と、本当に困ったように言われ。
そして、もちろん…当人に聞くということだけはやっていない。
―…僕に聞かなくても、僕の記憶を探れば分かるよ…。
自分から言いたくはない。その態度だけは、彼は絶対に譲ろうとしない。
だからと言って、彼の記憶を勝手に覗くのも嫌だと思うので…。
ここ数日の間に、心残りとなりそうなものはほとんど片付けた。そして、それが残された最後の一つ。
だから…アプリコットは、一つだけ心残りを残して出撃することとなった…。
それを見ているわけでもなく、背後に感じながら内心でため息を吐くクレア。
どうしたらいいんだろう…そんなことを考えながら。
今はただ、早くエレベーターが止まることだけを望んでいた。
「アレクは行かないのか?」
不意にかけられた声に、一瞬だけ「?」と思い…ああ、そうか。と一人で納得。
姉弟だから、もちろん名字は同じ。だから名字で呼ぶとややこしいから名前で呼んだのだろう。
「…アレクには残ってもらう。この船守ってもらわないとね…皆が戻ってくための場所を、ね…」
本当の理由は、それだけではない。
しかし、そのことは言わずに…クレアは黙って自分の手首に巻いた銀のブレスレットをじっと見ていた。
いつもアレクが持っていた物。クレアも同じ物を持っていたが…今は彼女の手元には無い。
意味も無くゆっくりと右手を開いたり、閉じたりを繰り返す。まるで、自らの意志で動くのを確かめるかのように…。
同じような動作を、同じ時に弟もしていた。もっともアレクは右手ではなく左手だったのだが。
「…まだ動いてくれるか、俺の左手は…。とはいえ…感覚もかなり鈍くなってるし」
それに続いて、肩を回してみたりなどするが結果は同じ。徐々にだが、左腕全体の感覚が悪くなってきている。
はぁ、とため息を吐いて目を閉じる。無駄な力は要れずに、あくまでも自然体で…アレクは一人呟く。
「…なぁ、何時まで隠れてるんだ?」
「…ん?」
Dブロックにたどり着き、待っていたらしい三人と合流して通路を走っていた時、不意にクレアが立ち止まって天井を見上げた。
その真後ろを歩いていたアプリコットは、咄嗟に避けることなど出来ずに追突。
しかし、それを気にせずに…じっとクレアは天井を見ている。しかも…その表情はとても険しいものだ。
もっとも、表情を除き見る余裕のある者などいなかったのだが。
「まさか…ね」
「どうしたんだ、クレア?」
真剣にそう呟く彼女に、同じように真剣な表情でアニスが尋ねた。
短い付き合いだが、クレアが真剣な表情をするということは、それだけ大変なことが起こる予兆でもあると知っていたから。
誰もが、動きを止めてそちらをじっと見ていた。
「ごめん、誰か残ってくれない?」
「どうしてですか?」
「いや…ブリッジのほうでね…。アレク以外の存在がいる…たぶん、アイツがね…」
「まさか…」
最後まで言うことは無い。その時点でクレアは黙って頷いたのだから。
しかし、疑問もある。何故、我が身を二つに分けたのか、だ。
自分の感覚が狂っていない限り、わざわざ彼は自分を二つに分けて、外とブリッジの両方に存在させているということになる。
感じる力の大きさも同じ程度。ならば、手を抜くわけにもいかない。
「ブリッジにはアレクが居るけど…アレク一人で手に負える存在じゃないから」
例え、不都合を抱えていなくても。そう言いそうになるのを必死に抑える。
それは彼女らには黙っておくと、二人で決めたことだから。
「…なら、私が残ろう」
僅かに響く、小さな声。全員の視線がそちらに向く。
「いいの?」
「…ああ」
決して理由は問わない。
どうして残ろうと言ったのか、それを悟れないほどにクレアも鈍くは無い。
結局、そこまで綺麗サッパリと割り切るには時間が短すぎたのから。
まして自らの意思で、彼女はそう“決めた”のだから。
だったら…それを止める理由など無い。
「手、貸して」
言うと同時に、影から取り出したナイフで自分の親指を僅かに切った。
血が出ているのを確認して、差し出された右手の甲に、素早く紋章機に描かれたものと同じ紋様を描く。
「この紋様が消えたら終わりだからね。消えたら、アイツに怪我をさせても、直ぐに治ってしまうから」
「右手を無くさない限り消えることもないだろう」
冗談のつもりだろうか?
あはは…と、クレアは困ったように軽く笑って。
「ま、そういうこと…他に残る人、いる?」
そう尋ねると、もう一人…黙ったまま一歩前に進み出た者がいた。
もう一度同じ作業を行い、それが済むのと同時に。
「任せたよ」
そういい残して踵を返し、再び駆け出した。その後を追って、慌しく二人が走り出す。
アプリコットも三人の後を追って一歩踏み出したその瞬間、「桜葉少尉」と後ろから呼ばれて、立ち止まる。
止まると同時に振り返ると、呼び止めた本人…リリィは、静かに告げた。
「…必ず、生きて帰れ」
もちろんです、と言って頷こうとするより早く。
誰にも聞こえないかのように、とても小さな声で「…カズヤ」と呟いていたのだけれど。
幸か不幸か…アプリコットには聞き取れなかった。
だけど、その名前で呼ばれていた少年はその声をちゃんと聞いていた。
だけど、その声は届かない。力強く頷いたって、彼女には見えない。
それに気づかずに、アプリコットは…じっと三人の姿を見送るカルーアに声をかけた。
「カルーアさんも行かないんですか…?」
「ええ。…リコちゃんは行きなさい。決して振り返らずに…………急いで!!」
有無を言わさぬ強い口調でそう言うから、カクカクと頷きアプリコットは三人を追って走り出した。
その姿が見えなくなるまで、二人はじっと見続けていた。
そして、どちらともなく来た道を逆行し始める。
「…あれでよかったんですか〜?」
そう言われるのを予想していたかのように、困惑などせずシンプルに答える。
「ああ」
何を問われたのか。もしかしたら食い違いが生じているのかもしれない。
しかし、迷うことなくハッキリと答えたのを見て、僅かにカルーアは微笑むのだった。
「そうですか〜…」
「マジョラム少尉こそ、よかったのか?」
「そうですわね〜…ですが」
「?」
「二人より三人で挑んだほうが、勝てる確率が上がると思いません〜?」
六人が五人になった。そして再び六人になり、七人となった。
もう誰も死なせない。望むのはただそれだけ。
勝って、生きて帰る。それが唯一の勝利条件。
「…そうだな」
どうなるかは分からない。
最善を尽くしても、最悪の結末を迎えるかもしれない。
だが、それでも…これ以上、誰かが死ななければ、最悪の結末を回避できると信じて。
近づいてくる四色の流星。
銀色の髪に赤い目を持つ、アレクに似た顔立ちの青年はそれをじっと見ていた。
周りには何も存在しない…星の光さえも遠すぎて僅かに見える程度の、空虚な空間。
ここが、最後の舞台。
ここなら、もう関係無い者達を巻き込まずにすむ。
「…始めようか。仕組まれた茶番ではなく…自らの意思で選んだ争いの終わりを。人は神に抗えるのか…」
全ては茶番のためだけに生み出された存在。
その真実を知らずに戦い続けた日々。しかし、何時しか双子の半神との戦いを楽しんでいた。
彼らの真似をして、人の社会に紛れ込んで生きるのも楽しかった。
つまらないことで一喜一憂したり、利己のために醜い争いをしている一方で、誰かのために身を削る者たちも居た。
善人と呼ばれる者たちと何かをしたり、悪人と呼ばれる者たちと共に行動したり。
彼の永劫とも呼ぶべき人生において、それは刹那の幻に等しく…しかし、彼の心を惹きつけて止まなかった。
自らが生まれたこと、それ自体が仕組まれたことだと知り、激怒した。
だから、彼らと協力して奴を殺し、滅びた世界を細部に至るまで丁寧に直した。
世界の管理権を巡って続く争いも、もうどうでもいいのかもしれない。
双子と戦ってとっちが強いのかを確かめたいのとは別に、人間という存在がどこまで強くなれるのか知りたくなった。
双子とてかつては人間。強き魂の力でもって神の半身を取り込み、自らのものとした。
ならば純粋な人間がどこまで神に抗えるのか。同じ歴史を繰り返す世界を眺めながら、彼はそう思った。
幸いなことに封印も解けかかっていた。全力を出せなければ確かめる意味が無い。
だから、最強と呼ばれる紋章機を扱う者達を招き寄せて…如何なる姿にもなれる利点を使い、憎みやすい姿で襲い。
少年を殺し…そして、クレアが彼女らを立ち直らせた後、更に外道とも呼べる所業を行った。
全ては自分と戦う理由を作るために。自分を憎み、倒そうと強く誓わせるために。
強引ではあったけれど、封印は破れた。他に人を巻き込まない舞台も用意できた。
「そして、かつての記憶を持つもの…」
誰もが失った記憶を取り戻した唯一の生者。
彼女にも興味はあったのだが…舞台に上がらずに残ってしまった。
「やれやれ…アレクに会いに行っただけで、ああも大騒ぎになるとは思わなかったぞ…」
本当に、挨拶に行く程度の、軽い気持ちだったのに。
とはいえ…紋章機に頼ることなく、生身の人間が神に立ち向かえるか。それを知るものまた楽しそうだから。
「しかし…流石にやりすぎたな」
生まれたばかりの頃の自分なら、気にしていなかっただろう。
だけど、時間の流れは、彼らとの戦いは、人に紛れて生きた経験が、いつの間にか自分を人間らしくしてしまったらしい。
この世界の全てを司る万能たる存在、神たる自分が、だ。
しかし、それを後悔しているわけでも、怒っているわけでもない。
「…せめて…いや、やめておくか」
もしも、生まれ変わるのであれば、もっとマシな人生を送れるようにしてやりたいかもしれない。
自分の我侭に巻き込んだ者達だけは…。
赤眼の青年の脳裏に真っ先に浮かんだのは、オレンジ色の髪の少女だった。
「面倒なことになったな」
「全く…お前に挨拶しに来ただけでああなるとは…」
そう言って笑うアレクと銀髪に蒼眼の青年。
「挨拶ねえ…。その割に、妙に強い力を感じるんだがな」
そう言うアレクは、完全に全身の力を抜いてリラックスしているようだった。
初めは警戒をしていたが…それを直ぐに解いた。
本当に、戦う気がないと分かったから。
「そう器用に我が身を半分に出来なかった、だから仕方ない。しかし…舞台裏で見守るつもりが、ここも表舞台になりそうだな」
「だな…けど、姉貴の気持ちも分からないこともないからな…」
互いに困ったように苦笑を浮かべる。アレクと簡単に話をして、戻るつもりだったのだが…どうもそうはいかないようだ。
足音が二つ、人間の耳には聞こえないだろうが彼らには聞こえる。
その足音の主達の殺気を感じて、笑みを零す。
「まあ、いい。あの剣使いに興味もあったことだ…。こっちはこっちでやるか、アレク?」
「…やれやれ、仕方ないな…半神半人のアレクじゃなくって…人間のアレクとして、やってやる」
限界を感じているし、徐々に左半身の感覚が鈍くなっている。
だけど、微塵もそれを感じさせずに、壮絶な獣の如き笑みを貼り付け、拳を握り締めて対峙する。
それは…かつて「双頭の魔獣」と怖れられた双子の傭兵の片鱗。
それに敬意を払うかのように蒼眼の青年も同じ笑みを顔に浮かべる。
とても楽しい、楽しくて仕方ない。お互いに声に出さずに、そう思っていた。
幾多の修羅場を潜り抜けた者でも、この空気に耐えられる者は僅かだろう。
まして、躊躇うことなく飛び込む者など…今ここに向かっている二人以外に、いるのだろうか。
ふっと息を吐いて、楽しそうに彼は呟いた。
有名な映画の台詞を…格好を付ける訳でもなく、それを言うのが自然なように…。
「You ain‘t heard nothin’ yet…」