第十五話 Lost of The Golden Age

 

 

 

 

 

 

 そこは、どこまでも続く先の見えない回廊。

 天井に壁、床…全てが氷や硝子で出来ているかのように透き通っていて、歩くたびに音が反響する。

 どうして歩いているのか、分からない。どこからやってきたのか、どこへ向かっているのかも分からない。

 ここはとても寒い…。はぁ、と白い息を吐きながら思う。

 磨耗した靴底は、とても薄く…冷気が直接、足の裏に伝わってくる。

 悴んだ手は青白く、指先が凍ったかのように冷たい。

 ここは…冷たくて、寂しい。

「……誰も、いない……」

 そう、ここには誰もいない。

 誰も…前を歩く人も、隣を歩く人も、後ろを歩く人も…誰もいない。

 何時からこうなったのか、分からない。

 何時の間にか、一人ぼっちになった。

 それでも、歩き続けている。止まるという選択もあるのに、それでも歩き続けている。

 何かしらの、明確な意思があるわけじゃない。

 それは…惰性と言うべきもの。それまでそうしていたから、それを続けるだけ。

 ふと、視界の端に動くものを捉えて。足を止めて、壁に視線を向ける。

 透き通った壁に映るのは…とても懐かしい、遠い昔に、何処かで見た光景。

 

 それは『今の世界』では起こりえなかった事象。

 

 理不尽な世界を駆け抜けた、かつての自分達の光景。

 

 今も昔も、世界は決して変わらない。何処まで行っても残酷で、何処まで行っても夢の無い。

 

 

 そんな世界で、理想を追い求めた自分が居た。

 

 

 そんな世界で、自分自身を裏切った人が居た。

 

 

 そんな世界で、無力さに涙を流した人が居た。

 

 

 

 

 そんな世界を、無関心を装いながら眺める者達が、存在した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ…姿変わらないんだな」

 鈍い黄金色の、硬質の皮膚に覆われた、赤と蒼の色違いの瞳を持つ竜がクレアに問う。

 その声は、とても楽しげに。決して嘲りも見下しもしていない。それは、目前の敵を認めているから。

「どこが。その色違いの目、節穴?」

 そういうクレアは、人型を保ってはいるが異形とも呼べる姿であった。

 右腕は完全に外骨格に覆われ、下は指先、上は顔…右の頬まで続いている。

 左腕は肘より下が右腕と同じ外骨格に覆われている。

 手の指先から伸びた爪は鋭利で、金剛石さえも容易に切り裂きそうなほどに。

 こめかみからは角が、背には蝙蝠の如き翼、そして、瞳孔は縦に切れて。

「竜って言うより、悪魔って感じだな」

 素直な感想を、赤眼の青年であった竜は口にした。

 それに対して異形と化したクレアは、口調はいつもの軽さを消して答える。

「完全に竜化すると、人の姿に戻れなくなるしね」

 人としての形を残しつつ、竜としての形を一部具現させることでそれを防ぐ。

 鎧のように上から纏った形なので、皮膚ではなく外骨格と化しているのだ。

 もっとも、これでも人間捨ててることに変わりは無いけど。と付け加えて。

「それに…アンタ、全力を出すとか言っておきながら、本気出さなかったってどうよ?」

「生憎と、あれは人としての全力だ。なりふり構わず…本気で全力なら、この姿をとらせてもらうだけのこと」

 かつて、古き神が分かたれる前に。

 その姿を見た時に、それを覚えたから。

 封印さえ解ければ、何時だって最強の名を冠ざす獣の姿をとることは出来たのだから。

「クレアが本気でいく宣言をしたからな。だから、この姿にならせてもらった。ところで…本当に、それで全力を出せるのか?」

 その問いに、それは愚問だと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて、クレアは答える。

「そんな心配は…いらないわよっ!!」

 そこに足場があるかのように、何も無い場所を蹴って。

 弾丸のように異形の人と化したクレアが鈍い黄金の竜へと向かって、突進した!

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、前の自分達が没して長い時間が経って。

唐突に、世界は終わりを告げた。

作り直された世界、同じ歴史を歩む世界。

決して、同じ道を歩むように作られていたわけではない。

しかし、人は全く同じ歴史を繰り返した。

小さな違いは幾つも存在した。しかし、歴史に残るような大事件は変わらずに。

後の歴史に大きく関与する者達の系譜は、決して途絶えることは無く。

だけど、世界という巨大な存在に対して。あまりにもちっぽけな人間の、些細な行動。

忘れていようと、その内に刻んだ悔恨の思いが、違う道を歩ませたのに…ジョーカーとでも言うべき未来を引き寄せる。

「そう…全てはあの日から始まった。あの日、僕が君を選んだ時から」

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜化したと言えど、所詮は半身。そう巨大な姿を取ることは出来ず。

 しかし、人間とあまり変わらないサイズのクレアにとっては、それは巨大な存在に変わりは無い。

 理想としては懐に飛び込んで、喉を爪で引き裂いてそのまま抉る。

 だが、彼とてそれを警戒している。黄金の炎の吐息と、鞭のようにしなる尾が近づくことを阻む。

 中途半端に近づいては鉤爪で上から下まで引き裂かれて終わり。

 伺うのは、機会。

 たった一度だけのチャンスを、待つ。

 ブレスには同じくブレスをぶつけて相殺し、長大な尾は時には受け流しながら、時に完全に外骨格部分にぶつけてダメージを無効化。

「…何というか…足場が無いってのが、ここまで面倒だったとわね…」

 ふぅ、と軽くため息を吐く。

 擬似的に足場がそこにあると思い込むことで、仮想の踏み台を作り、物理的に踏み込む。

 ただそれだけのことが、足を引っ張っている。

 地面に足が付いているのなら、何一つとして考えない要素。

 それが思考の一部を常に占拠して、戦闘行動に使う部分を減らす。

互いに疲労の蓄積は考えても、ダメージの累積など決して考えない。

勝負は一撃で決まる。懐に潜りこめばクレアが容赦無く喉なり心臓を抉っていく。

それが失敗すればミンチになるか、跡形も無く消されるか。

互いに牽制攻撃のみで、瞬きする間も無いほどのチャンスを求めて。

何度でも…何百回、何千回とでも、ただ…鉤爪を振るい、炎の吐息を放ち。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは…境界線だよ」

 何の気配も無く、背後に現れた少年は少女に向かってそう告げる。

 淡々と、ただ事実のみを。

 半身のみを背後に向けて、少女は少年の言葉に耳を傾ける。

「そっちへ進めば…戻れる。だけど、こっちに来たら…皆と同じことになる」

 ここは生と死の境界線なんだ、と。

 もっとも過去二回、自分が見た境界線は、こんな風景じゃなかったけど。と付け加えて。

 それだけを聞いて、彼女は踵を返し、再び前へと…生の場所へと向かい歩き始める。

 それで十分だと、その背は語っていて。

 死への誘いはいらないと、言いたげで。

 しかし…誘うわけでもなく、純粋な疑問だけで背後からの声が問う。

「本当に、いいの? 生き残っても…もう誰もいないんだよ?」

「…誰もいないわけじゃ、ないですから」

 仲間達はいなくなってしまったけれど、それでも…まだ、家族がいるから。

 自分が死んで、泣く人がいるから。

 だけど、それは上っ面だけの理由。

 恐い…、死ぬのが恐い…本当はそう思ってる。でも、それは伝わらない。

「そうだね。家族がいる、泣いてくれる人がいる。だから死にたくないのは分かる。だけど、もう戦う必要はないじゃないか?」

「…それ、は…」

「もうしばらく、ここに留まっていればいい。どっちが勝つかは分からないけど、決着は付くから」

 それに。そう言って…ゆっくりと、重くのしかかる言葉を放つ。

「理由が、無いじゃないか?」

 

 

 理由が無い。

 そんな言葉を、よりにもよって彼が言った。

 怒りで目の前が真っ赤に染まりそうだ。怒鳴りだしたいのを、爪が食い込むほどに強く拳を握ることで堪えて。

 振り返りもせずに、言葉だけ投げかける。

「理由は、ありますから」

 そんなことを言う少年の顔を、見たくないから。

 彼女が好きだった少年なら、きっとそんなことは言わないと思っていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 届く!!

 思い立つと同時に、距離を詰める。その速度は、易々と音を超える。

 左手の鉤爪の振り下ろしの斬撃を掻い潜り、懐に飛び込んで、喉元目掛けて右手を突き出…。

「っ!!」

 ガァンっと硬い物がぶつかり合う音と、飛ばない筈の火花。

 視界の端に一瞬だけ走った閃き。決して聞こえない、鉤爪と外骨格がぶつかりあう音。

 それを受け流し、一秒と懸からずに離脱。

 追い討ちをかけるように、唸りをあげて襲ってくる尾を受け止め、流し、距離を取ろうとする。

「やれやれ…今のは届くと思ったんだけどなぁ」

「そう簡単に、決着を付けられてたまるか」

「正直に言って、そう簡単に決着付けたいとアタシは思うけどね」

 言いながら、クレアは振り下ろされた巨大な右腕による一撃を、左手を使って受け流す。

 軽口を言いながらも、決して攻撃が途切れることはない。

「以前は、お前らを同時に相手にしてたから。不完全でも、元の技量が図抜けてたから、厄介だった」

 言いながら吐き出されるファイアブレス。

「生憎と、人間の原型を辛うじて留めてる程度のこの姿だと、勝手が違うからねー」

 応じながら、ブレスを避け両手に火球を生み出し、それを放つ。

「それでも十分強いじゃないか…完全に使いこなされると、半身でしかない私には、勝ち目が無くなるからな」

 二つの火球を、それぞれの腕で叩き落し。返す刀で右腕を一閃。

 まともに当たれば、骨ごと削ぎ落とせそうな爪を恐れることもなく、髪数本を犠牲にして避けながら。

「じゃあ、粘ろうかな」

 腕に、蹴りを叩き込む。ガツっと、直撃したのがよく分かるいい音が聞こえるような気がした。

「粘っていたら、あれが巻き添えを喰うんじゃないのか?」

「…まあね…当たり前だけど、速攻で君を叩く。あの子だけは守るって決めたからね」

 守れなかったのは、五人。

 守りきれずに、守ることを放棄してしまったせいで二人は死んだ。

 ここにいる自分には、手の出しようの無い場所で三人が死んだ。

 神の力だの何だの言っても…家族も、友人も、何も守れないなど…どれほどに虚しいことか…。

「…結局、中途半端なんだろうね」

 それでも。

 願った者達に限って、その手から零れ落ちていくというのであったとしても。

「せめて、最後の一つくらいは零さずに抱えてないと、ね…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―…やっぱり、怒ってるかな…でも、振り返ってはくれないか…。

 少しだけ、期待していたけれど、それは打ち砕かれた。

 怒らせるような言葉をわざと言っているのだから、仕方ないのかもしれない。

「理由は、ありますから」

 その冷たい響きが、たまらなく嫌で。

 それなのに、更に辛い言葉しかかけられない。

 ズキリと痛む胸に、僅かに顔を歪ませながら、少年は再び言う。

「そんな理由で…戦ってどうするの? 最初から…僕らには関係の無いことだったんだよ?」

 言いながら、説得力ないなぁと自分でも思っていた。

 確かに、初めは関係が無かっただろう。

 しかし、彼が死んだその時から、無関係ではなくなったのだ。

 理由はたったそれだけ。薄っぺらいと言われても、意味が無いと言われても。

 その思いを皆、抱えていた。それを抱えて、それぞれの命を燃やし尽くした。

 だから、今更ここで立ち止まるわけにはいかないのだと。

 どれほどに無念を抱えていようと。

 どれほどに未練を抱えていようと。

 世界を、この世界の自分達の物語を憎もうと。

 それでも…必死で、皆、駆け抜けていったのだから…命の、最後の一滴さえも使い果たして。

 

 

「確かに、最初は関係なかった…」

 

 そう言いながら、ゆっくりと振り返る。

 少年の…何時か、綺麗だなと思った…紫色の瞳をじっと見つめながら。

 思うことを、少しだけ嘘を混ぜて言う。

 

「だけど…あの時、関わってしまったから…。そうして、ここまでやってきて」

 

 あまりにも多くのものを失いながらも、それでも、ここまで来た。

 望まぬ内に、流れた血は河の如く、積み上げた屍は山の如く。

 とうの昔に、輝きは失われてしまっている。黄金なんかよりもよっぽど価値のあった時間は、失われて久しい。

 

 だけど…。

 

 今ここで歩みを止めるのは、流した全ての血と涙に、積み上げた屍とそれに宿っていた魂に失礼だから。

 

「だから…最後まで、逃げ出したくない」

 

 唯一人生き延びてきたのだから、今ここで命を放り出したくはない、と。

 

「それに…決めたんです。例え、辿り着く先が一切の希望の無い地獄でも、逃げないって…最後まで見届けるって」

 

 そして…この物語の役者でもあるのだから、と。そう心の中で付け加えて。

 

「そうか…。じゃあ、ここでお別れだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし…派手さに欠けたラストバトルよねぇ」

 変わらぬ軽い口調で言いながら、やっぱりシリアスに喋るのって向いてないなと思った。

 それがクレアのらしさと言えば、そうなのかもしれないが。

 口調は軽くとも、やるべきこと、やらねばならないことだけは決して忘れずに果たしているのだから。

「黄金色の炎が飛び交ってる時点で、結構派手だがな…流血が全くないと言う点では、同感だが」

 幾度となく攻防を繰り返して、互いに無傷。

 幾度となく打ち合い、互いに満身創痍…なんて、よくあるようなラストバトルではなく。

 互いに一撃必殺のみで仕留める以外に、眼中にないからこそ。

 決して、小さな負傷さえも負わぬ戦いへとなってしまった。

 何度、踏み込んだことだろう。

 何度、チャンスをものとすることが出来ずに、歯噛みしただろう。

「普通は、お互い満身創痍とかになったりするのにねぇ」

「これだけ打ち合っているからな…満身創痍と言えば、そうだ。疲労困憊のほうが正しいだろうがな」

 ごもっともで。そんな風に答えつつ、クレアは竜に向かって問いをする。

 何時頃からかは忘れたが、疑問に思っていたことを。

「アンタはアタシに勝ったら、どーする気? 世界征服でもする? それとも人類粛清?」

「生憎と、そんなことに興味は無い。特に後者は、な。そんなことしようとする輩がいれば、逆に葬るがな」

「じゃ、世界が滅びそうになったらこっそりと手助けして、滅びるのを防ぐのを手伝ったりして。人の姿して、人間生活でも満喫?」

「そのつもりだ。それが、一番刺激的な在り方だからな」

 楽しそうに口元を歪めて笑う。が、

「もっとも…」

 そう言って、戦闘中でありながら、彼は視線を別の場所へと向けた。

 あまりにも無防備な姿を晒す竜に向かって、クレアは攻撃を仕掛けようとはしなかった。

 代わりに同じ方向へと視線を向ける。

「…そっか。結局、どっちが勝ってもその辺は同じ、か…」

「…何だ、同じことを考えていたのか」

 そして、顔を見合わせてニヤリと笑って。

「次の一打で、決める。止められなきゃアタシの勝ち、止められたらアンタの勝ち。それでいい?」

「シンプルだな…だが、いい。長い因縁を、呆気なく終わらせよう」

 両の手の鉤爪を確かめながら、クレアが…地面を蹴るように。

 最後の一撃を放つために、駆け出した!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 寂しげな笑みを浮かべて、彼はそう言った。

「皆…向こうで待ってるからね。僕だけ、ずっとこっちに残ってると、皆が怒るから」

 今まで、ずっと。輪廻の輪を外れてズルをしていたのだから。

 いい加減に、戻らないと。

 決して口にはしなかったけど、そう言いたげで。

「…頑張ってね」

 気の利いた言葉なんて、思いつかない。

 そもそも、こんな時にどんな言葉をかければいいのかさえ、分からない。

「…ええ」

 二人を別け隔てる、決して見えない絶対的な壁。

 生きると、彼女が決めたその瞬間から。それを彼が認めたその瞬間から。

 その僅かな距離は、境界線となった。生きる者と死んだ者との。

 交わすことを許されるのは、言葉のみ。ほんの少しだけ手を伸ばせば、相手に届くのに…届かない。

 このままだと、きっと何時までも踏み切りが付かないから。

 生きていた頃と変わらない、柔らかな笑顔で…出来るだけ明るく、少年は少女に言う。

 

 

「さよなら」

 

 

 また何時か会おう。そんな親愛な響きを…決して叶わない願いを込めて。

 永遠の別れを、少年は告げる。

 

 それを聞いて…ちくりと心が痛むけれど。ここで泣いたら駄目だと、自分を抑えて。

 もう二度と会えないのだから、と。せめて、今出来る精一杯の笑顔で。

 

「さよなら、カズヤさん」

 

 涙目で、声は震えてしまったけれど。

 それでも、ちゃんと別れは言ったから。

 踵を返し、決して振り返らないと自分に言い聞かせながら、前へ歩もうとして…ふと、足を止めた。

 もう一つだけ、言っておきたいことがあった。

 

「ずっとずっと…遠い昔から、好きでした」

 

 一瞬だけ振り向いて、一滴の雫が舞いながら、笑いながら、そう言って。

 頬を伝うそれを拭うことも無く、前へ、前へと…戻るべき場所へと、歩いていく。

 もう諦めたのに、僅かに残る未練が…少年の手を、伸ばすけれど。

 その手は…すり抜けて、虚空を掴むだけ。

 生きようと決めた者に、死んだ者の手は決して届かない。

 例えどれほど近くにあっても、触れることは出来ない。

 

 …その姿勢のまま、彼は彼女の姿が見えなくなるまで、ずっとその先を見ていた。

 

「…これで、良かったんだよね?」

 

 その姿が完全に見えなくなった時、カズヤは…誰もいない場所に向かって話しかける。

 答えなど、返ってくるはずが無いのだが…。

 

「ま、いいんじゃねえのか?」

「カズヤがそれでいいと思うなら、それでいいのだ」

「なら、行きましょうか〜」

「結末を見届けるなら、向こうにいても出来るからな」

 

 それぞれ、思い思いの言葉をカズヤにかけてくる。

 彼より後に逝き、彼より先に行った友人たち。

「…あの」

 濁る言葉は、誰に向けたものか。

 何が言いたいのか、自分でも分からないけれど。

「私はあれで良かったと思うぞ」

 そう言い切られては、何も言うことなど出来ない。

 それが彼女なりの気遣いだと分かったから、それに甘えることにして。

 一人一人に目を向けて…少しだけ、笑顔を寂しさと悔恨で翳らせながら。

 

「…じゃあ、皆…行こうか」

 

 在るべき場所へ、死者達は戻ってゆく。

 捨てきれない未練を抱えたまま。

 

 

 

 

 

 

 不鮮明な、ノイズがかかったかのような視界が徐々に鮮明になっていく。

 それよりも早く、根本的な部分…自我は覚醒していたから、ぼやけた視界に少しだけ苛立ちを覚えて。

 手だけは、慣れた動作を行う。

 機体の状態をチェック……オールグリーン。何一つとして、問題など無い。

 視界内に入る、二人の戦いの余波に巻き込まれる範囲内でありながら、決してそれに巻き込まれることの無かった幸運。

 誰かが守ってくれたのかもしれない。

 そう思った時、真っ先に思い浮かんだのが血を分けた姉で…その次に、仲間達の顔が浮かび…そして、消えてゆく。

 心にぽっかりと大きな穴が空いたような、奇妙な感覚。今まで、誰かが共に居たはずなのに…。

 思い出そうとしても、まるで手で水を掬うかのように…一瞬だけ鮮明に浮かんだ後、ぼやけて消えてゆく。

 記憶が薄れていっているわけではない。その人達へ感じていた思いが…消えていく。

 それが生きたいと願ったことへの、たった一人でも生きると決めたことへの代償とでも言わんばかりに。

 

「皆……」

 

 それでも…もう一つだけ、我侭を聞いてほしい。

 

 一人では、飛ぶことが出来ないから。

 何故なら、この身は片翼を失っているのだから。

 だから、失った片翼を…。

 

「この一回だけでいいから…人としての、限界を超えた力を私に…!!」

 

 この物語は、敵討ちの物語。

 ならば、その為の力を、今ここに。

 生涯にただ一度だけ…黒い感情をもって、その力を使うことを。

 二度と、このような思いで戦うことは無いと自らを戒めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―あ、終わったな。

 踏み込んだ瞬間、クレアはそう思った。

 コンマ一秒にも満たない、初動の遅れ。精密機械でもない限り、常に同じタイミングで踏み込めているとは言えない。

 けれど、普段はそんな…光の速度並の世界での遅れなど、意味を為さない。

 しかし、互いにそれを知覚出来て、尚且つ反応出来るのであれば…それほどの事であれ、致命傷となる。

 ―けど、やっぱ悪あがきだけはしないとね。

 右腕が、蒼眼と赤眼の竜の喉を貫こうと伸ばされる。

 その距離が徐々に短くなっていく。

 スローモーションで再生した動画のように、時間は遅く流れる。

 この戦いの終わりを、少しでも先伸ばすかのように。

 前へ、前へと、伸ばした右腕が…その爪が、喉元へ届く。

 そして、それを刺し貫こうとした瞬間、左肩から異様な灼熱感が走り。

 ―あぁ、やっぱり駄目だったか…。

 そう思うより、僅かに早く。

「…負けたか」

 彼はそう言って。

 その直後、二条の熱線が…金色の竜を、竜を模した獣の胸を貫いた。

 クレアの身体を、その爪が引き裂いてしまうより早く。

「は?」

 何が起きたのか、分からない。

 そう呟いた直後に。

「因果は廻り、巡るもの…廻りまわって、戻ってきたのか…」

 彼はそう呟いて。

「どっちの勝ちでもない…人間の勝ちだ、この戦いは」

 蒼眼の青年の姿を模した、彼を倒したのは隻腕となった騎士だった。

 そして、赤眼の青年だった竜を倒すのは、何も持たない少女だった。

 だから、この戦いの勝者は…神ではなく、人。

「…楽しかった。まだやりたいことはあるが…勝者に敬意を表そう、おとなしく消えることにする」

 その言葉を最後に。

 竜は光の粒子となって砕け散り、暗い闇に閉ざされた空間を黄金色に染め上げた。

 それは、今まで彼女が見たどんな光景よりも印象に残る、鮮烈な輝き。

 始まりと終わりを内包した…混沌、無秩序なものであるにも関わらず…目を閉ざすことを許さない。

 それを見逃すことは、一生の後悔であるかのように…視界一杯を埋め尽くす光をじっと見ていた。

 

 そして、残滓を残しながら、ゆっくりと…その光が収まった時、跡に残されたのは。

 

 

 

 

金色の異形を纏うクレアと…。

 

 

 

 

 白い翼を広げ、オレンジ色に輝く紋様を纏った紋章機のみだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この物語を読んでいる人達へ。

 

 

最初で最後の問いかけをしよう。

 

 

この世界に、ハッピーエンドは存在するか、否か?

 

 

 

 

 

 

 

 

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